未分類,西野順治郎

当時のタマサート大学は、法学部、商学部の二学部だけで商学部には、ブンチュー・ローチャナサチヤン(後に国会議員から副総理)が、法学部の同級にはチンダー・ナソンクラー)後に人事院総裁)、ロートビット・ペレラー(後に私が参加する法律事務所のパートナー)、ビィラ・ロムヤナート(後にバンコク銀行副頭取)、クンジン・カノク・サマセーン(女性、後に国会議員)らが在学していました。これらの同級生のお陰で、後に人脈 ...

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ところでご存知でしょうか。マレーシアからタイへは直接線路は連結されておらず、タイの汽車に乗り換えになります。 国境駅では、タイ入国手続きを終え、時計を一時間遅く変えています。 バンコク到着の前日、電報にて知らせています。 7月24日昼過ぎ、国際列車がバンコク中央駅に到着した時には、数名の公使館員が出迎えてくれています。 西野さんは、定刻通りに到着したことに驚いていました。 夕方から、館員一同出席の ...

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なお、榛名丸での船内生活について、以下の通り想い出を残しています。 「ローマに行く同期入省の下村 清君(後にイタリア大使)を始め、ベルギーに居られた来栖(くるす)三郎大使の長男、良君(当時横浜高等工業学生、後に戦死)、長尾横浜正金銀行(シンガポール支店長)令嬢姉妹らは懐かしい人たちである」と。 なお、留学生試験に合格した岩瀬 幸さんは、別船でリスボン(ポルトガルの首都)へ向いました。 また船内では ...

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西野さんがタイへ出発した時は、弱冠20歳でした。 これから、バンコク留学の途に向かう話を進めましょう。 出発前の準備 東海道本線で神戸に向かう車内での話です。 特高警察が見回りに来て西野さんに職務質問しました。 それというのも、ガラガラの車内で学生服を着た若い青年が一人一等座席(グリーン車)に乗車しているなんて、不自然と疑問を持たれたからです。 特高の職務質問に対して、西野さんは、パスポートを見せ ...

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この紙面での連載で、飛び入り記事で著者がお世話になった話を書いてみました。 登場人物は、中村 薫氏で西野さんと同じトーメンの社員でした。 遡ること約35年前サイアムジャスコ(現在のイオングループ)が海外に進出する際、社内に適当な人材が見つからず、中村 薫氏をスカウトしました。 中村氏は、トーメン社の定年一年前にリクルート会社に海外で活躍できる場を求めてリクルート会社を通じて求職活動を行っていました ...

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留学生試験  話を戻して、外務省の国家試験を受験する動機として、自叙伝では次のように書かれています。  海外雄飛を目指して横浜に来たが、寒村の農家出身で特に実業界にコネを持っていなかったので、実力で受験できる分野を選択した、と書かれています。  当時農家出身者が、外務省の外交官に進むことは、極めてまれなケースだったのでしょう。それは「百姓出身者が侍の身分になる」ような、極めて可能性の少ない職業選択 ...

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  学生生活  翌年3月の春休みに、朝比奈宗源師の紹介状を受け取り、興津清見寺(静岡県静岡市)に古川大航を訪ね、座禅を修行しながら外務省への試験勉強を開始した、と書かれています。外務省試験の一年前から集中して勉強したことがうかがえます。  学生生活について、1年生は宮面寮という学校直営の寮に住んでいました。大学敷地の西側、運動場に続いている場所にありました。  2年になってからは、寮を出 ...

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  今回は西野さんが専門学校で学んだ様子や大学創業者米田吉盛先生のプロフィールについて若干紹介したい。   当時の横浜専門学校(現在の神奈川大学)は創立(昭和4年創立)後、日が浅く新興の気分に溢れていました。   学生は給費生試験に集まった秀才組と、逆に他校の入試に失敗したグループの混成でした。   一方教授陣は、一流大学の有名な教授を多数講師として招いていました。   従って、真剣に勉 ...

西野順治郎

横浜専門学校から外務省へ  横浜専門学校入学の話の前に、海外雄飛の話をしましょう。   西野さんは、少年時代に愛読した少年倶楽部の海外に関する小説、特に南洋一郎という南方(注:当時はこの方面を南洋と言った)を舞台にした物に憧れていました。   その上、特高警察に睨まれてからは益々海外雄飛の夢を持つようになったよう、と記述しています。(注:特高警察に睨まれたことは、第6回の掲載で触れている)   横 ...

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「クーカム」のあらすじ  メナムの残照は、タイ語のタイトルでは「クーカム」。ざっくりあらすじを説明しますと、小説の舞台は第2次世界大戦中、タイに派遣された日本兵の小堀とタイ人女性のアンスマリン(ひでこと呼ばれる)が主人公(ヒロイン)となっています。 二人は恋に落ちるも、政略結婚とひでこの彼氏が出現して三角関係を繰り広げ、自分の本当の気持ちに気づいたひでこは、彼氏に別れを告げ、完全に元カレから解放さ ...

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クーカムの人気 小説の話になりますが、タイで何度もドラマ化や映画化されてきた作品です。   小さい子供を除いて、この作品を知らないタイ人はいないといっても過言ではありません。   また、日本人の間でも、自己紹介する際に、「小堀です。私のアンスマリンを探しています」なんてジョークをかますのが鉄板ギャグだったのだとか。 人間の心に迫る内容 この小説が、こんなにもたくさんの人に愛されたのは、 実体験を組 ...

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始めに  前回生い立ちの中学生時代までを描きましたが、今回から3回にわたり西野さんと「メナムの残照」の著者トムヤンティ女史について描いて見ましょう。   西野さんの紹介  西野さんは、旧学制で専門学校の貿易学科で学び、来タイ後、タイ語学習の末にタマサート大学法学部を卒業、戦前タイの日本大使館でタイ政府との交渉の通訳などをされているので、タイ語がとても堪能です。   そんな西野さんは、タイで超有名な ...

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父親は西野さんに対してもお兄さんと同様、師範学校(注:教師になるための専門学校)への進学を望んでいましたが、次男であるため旧制高等学校への受験が許されました。   そこで西野さんは中学4年終了時、比較的競争率の低かった第三高等学校文科丙類(現京都大学教養学部)を選んで受験して合格しました。   しかし、この喜びも束の間で、その二学期には退学させられる運命となりました。   かいつまんで言うと、お兄 ...

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村の小学校は、西野さんの生家から約300メートル南の山麓にあり部落と同名寺院「金熊寺」と信達神社に隣接し、寺や神社の境内が学校の運動場でした。 全校児童数は130名(現在でもほとんど同数)、西野さんのクラスは男子12名、女子11名の23名でした。  教師は4名、その内ただ一人の女性の教師は1年生担任、校長は6年、他の二人の教師は4・5年と2・3年とをそれぞれ合同で担任していました。 1930年(昭 ...

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父親の利一郎さんは村で律義者として通った真面目で厳しい人物として知られていた、とのこと。   徴兵検査を受けて深山重砲第4連隊に入営し、選ばれて横須賀の砲術学校に留学させられ、東京赤羽にあった砲兵工廠の研修を経て特務曹長(注:曹長の上に置いた准士官)まで昇進しました。   日露戦争には曹長(注:軍隊で下士官の中で最上級の階級)で参戦し、旅順港攻略線を勝利に導いた砲兵部隊の分隊長としての功績により、 ...

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母親のキミさんは祖父母秀吉、ヨシの間に生まれた一人娘で、父利一郎は同じ部落の矢野家から来た婿で、大阪冬の陣で討死した矢野家泉守正嗣の子孫です。   歴史的な話になってしまいますが、矢野和泉守正嗣は、豊臣家を救うため真田幸村と共に紀州九度山から大阪城に入る時、二人の息子を伴っていましたが、弟の方が途中腹痛のため、この部落の床屋(注:後に説明)に預けられたため、討死を免れたのです。   西野、矢野両家 ...

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この覚え書きでは、小生が西野さんと接した中で知ったこと、自叙伝にも書かれた功績を書き留めつつ、余談も交えて当時の様子が見えるような内容になれれば良いと思います。彼の功績を紹介するに当たり、西野さんのことを知らない方も多いと思いますので、彼の生い立ちと家族から始め、どのような人物であったか年代に沿って紹介していきたい。 『出生地』 西野さんは1917年(大正6年)8月9日、大阪で生まれました。この時 ...

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「西野順治郎氏覚え書き」を次号より掲載いたします。同氏の生誕から逝去(せいきょ)まで、長期間の連載を予定しています。 まず、西野順治郎氏ついては、ご存じない方がおられますので略歴を紹介しましょう。 大正6年大阪府生まれで、横浜専門学校を卒業後、外務省留学生試験合格後、タイ留学。その後、終戦まで在チェンマイ領事館、在タイ日本大使館勤務。 終戦後は外務省に戻り、昭和26年外務省を退官。トーメン(現豊田 ...