第5章-3 外務省還帰 西野順治郎 列伝 58 次官秘書官

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千代田区霞が関にある外務省庁舎
千代田区霞が関にある外務省庁舎

吉田外務大臣、寺崎次官ともに、戦時中は軍に抗して辛酸(しんさん)を嘗(な)めた人だけに意志の強い反面、温情的な性格の持ち主だったようです。
よって、勤務上嫌な思いをしたことはなく、ツーカーの仲だったようです。
しかし毎日、退庁するのは暗くなってからで、これに慣れるのが大変だったようです。
役所では、上司が退庁しないと部下も退庁できない、という風潮が過去も、現在も残っており、悪しき慣例になっていますねー。
著者は10年間役所の飯を食っていましたので、その実情がわかる、というものです。
この点、西野さんは、著者同様に役所生活に向いていなかったのかもしれません。
生活面では、これまでは食糧豊富なタイで、軟禁中といえでも家庭の使用人に恵まれ、自動車で走り回る生活をしていたのですから…。
それが日本へ帰国してからは、食糧不足の上毎日超満員の電車に押し込まれて通勤しなければならなかったのです。まさに月と鼈(すっぽん)の生活ですね。
話がそれますが、このような事は現在の駐在員にも当てはまりますね。
タイ駐在を経験した駐在員は、日本に戻ると「タイでの生活は天国だった」と懐かしむ人が多いですね。
さらに、西野さんの不満が続きます。

「私は中学時代に、鍛えたので寒さに平気である」と前述しましたが、引き揚げ帰国した年の年末からの冬は、占領軍関係の施設以外はどこにも暖房はなく、しかも電車の窓は殆ど壊れたままで、寒風が吹き込み放題、さすがに「私もこの年だけは寒いと感じた」と述べています。
この理由を、著者なりに書いてみましょう。
タイで生活していた時は、暑さのため皮膚の毛穴が開いています。
そのため、最初の日本の冬は寒く感じるのでしょう。
さらに、光枝奥さんにも言及しています。「又、妻光枝は、これまで料理はもとより、炊事などには手を付けたことが無かったが、帰国後は家事一切をしなければならない他、重いリュックを背負って食糧の買い出しにも行かねばならなかった」と。
当時の生活の様子も、少し紹介しましょう。
帰国直後の8月に長男泰彦さんが生まれ、同10月より、二人の幼児を連れて上京し、金子家(注:奥さんの実家)の四畳半一間に家族4人の生活が始まりました。今の広さですと、ワンルームマンションに相当しますね。
この時代、戦争で家を失い、職を無くした人が多数いた中で住居と職がある西野さんは、まだ幸福な方でしょう。
西野さんは「人間は相当厳しい環境の変化にも、追随出来るものである」と述べています。

(次回号へ続く)

著者紹介: 小林 豊  

2021年12月20日 タイ自由ランド掲載

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