第6章-5 商工省時代 西野順治郎 列伝 64 白洲次郎さんと西野さん

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第6章-4 商工省時代 西野順治郎 列伝 63 振り返りと今後の活躍

新潮文庫から出版されている白洲次郎さんの著作
新潮文庫から出版されている白洲次郎さんの著作

チェンマイに住んでいる友達がいますが、その彼と西野さんの話題の際、白洲次郎さんの名前が出て来ました。
その時、白洲次郎と聞いて著者は「あぁー彼(白洲次郎)のことは本で読んだことがある」と応じました。
白洲次郎氏を知っている方もいると思いますが若干紹介します。
彼は若い時イギリスで留学し、実績を残した実業家でした。
戦前、アメリカの強さを知っていたので、戦争に反対した人です。
しかし、軍部の力で戦争を止めることができなかった、という話が残っています。
戦後、彼は吉田茂元首相の知遇を得て、対米交渉の際側近として日本の独立に貢献した人です。また、商工省の外局として新設貿易庁の長官も歴任しました。
西野さんは外務省に戻ってから、半年後に外務省の職員研究所に研究員として入所しています。
この研修所のアイデアは、吉田元首相が外務省の幹部研修を目的として発案したもので、白洲次郎さんが具体的な内容を提案したとのことです。
西野さんが、15歳上の彼を敬ったことは想像に難くないです。
西野さんはこの研修所に6ヵ月間学びましたが、その間に当然白洲次郎さんが講師として招かれ、戦後日本の経済発展について講話し、その内容に感銘を受けたことでしょう。
西野さんが外務省から商工省(今の経済産業省)に移籍する前、吉田元首相や白洲次郎さんと何らかの関わりがあった事でしょう。今となっては事実を確認できませんが…。
× × ×
戦後混乱期、白洲次郎氏が通産省の役所をリードした、とホームページに書かれています。
西野さんは、商工省に移って約4年間奉職しましたが、2年後に通産省に改組されています。
ちょうど西野さんが辞める前から朝鮮戦争による特需が始まっていますが、これによって日本は戦後の不況から高度成長に繋がっていく事になります。
タラレバの話ですが、西野さんが退職せず通産省に在籍していたら、局長就任は間違いなかったと思います。
この頃、通産省は勢いがあったので外務省に残るより通産省に残った方が出世したこと間違いないでしょう。
ちなみに戦前一番権限があったのは内務省で、その次に大蔵省でした。
外務省は、権限がある省庁ではありませんでした。
今ではパワーがあるのは大蔵省や通産省(経済産業省)でしょう。
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話を戻して、西野さんは戦後の動乱期で外務省に残れず通産省へ移籍しましたが、それでもタイを思う気持ちは変わらず、結局役所(通産省)を捨て商社(民間)を選びました。

退官の際、世界的な視野を持っていた人なので、周囲から惜しまれたことは、間違いないでしょう。

(次回号へ続く)

著者紹介: 小林 豊  2023年3月5日 タイ自由ランド掲載

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