第3章-3 初めての船旅 西野順治郎列伝 ⑰

2日間の長旅の終着駅、ホアランポーン中央駅
2日間の長旅の終着駅、ホアランポーン中央駅

ところでご存知でしょうか。マレーシアからタイへは直接線路は連結されておらず、タイの汽車に乗り換えになります。 国境駅では、タイ入国手続きを終え、時計を一時間遅く変えています。 バンコク到着の前日、電報にて知らせています。 7月24日昼過ぎ、国際列車がバンコク中央駅に到着した時には、数名の公使館員が出迎えてくれています。 西野さんは、定刻通りに到着したことに驚いていました。 夕方から、館員一同出席のもと中華街で支那料理のご馳走を受けています。 当時のバンコクの様子について、次のように述べています。 「最初は非常に親しみ難い感じを持ったが、そのうちに第二の故郷のごとく急に忘れがたい嬉しさと親しさを持たせる街となってしまった」と。 この日から一週間、天田副領事(後、一等書記官領事)宅に宿泊し、それから一週間後にバンコク北郊ドゥシット公園の側にあるワチラウッド・カレッジの寮に移りました。 寮は広い構内の四隅にあり、西野さんが入ったのは南東隅の寮で寮監は副校長のプラ・パタット・スンドラサーン氏で、この副校長夫妻には家族の一員のように遇せられ、楽しい3年間を過ごすことが出来た、と記述しています。 ここで、西野さんが3年間過ごした、別名キングス・カレッジとも呼ばれている学校を紹介します。1910年前ラーマ6世が待従教育を目的として設立した全寮制学校で小学校4年から高校までで、合計6学年です。 全生徒数約1000名で一クラス20名、一学年5教室。敷地面積99ライ。 定員が少ないため、家系の良い人でないと入学できないようです 西野さんは外務省の方針に従い、日本人社会とほとんど接触なしに勉強を続けました。 翌年6月からタマサート大学法学部に入学を許可されました。 これまたすごい能力です。普通なら入学許可まで2年位かかるでしょう。 当時、大学はチュラロンコーンと二校しかなく、法学部はタマサートだけでした。西野さんは、毎日ワチラウッドの寮でタイ語の勉強を続けながら、バスと路面電車を乗り継いで王宮近くのタマサート大学まで通いました。 西野さんの著書「自由シャムの横顔」より大学の通学について引用します。「大学は男女共学で私の組にも約50名の女子がいたが、毎日これら女子と交えた学友等と共に電車通学するのは一つの楽しみであった」と。 筆者も高校生の時、汽車通学をしていましたので、この下りに共感しました。 なお、同書にタマサート大学を「法政大学」と日本語訳していますが、この事については省略します。

次回からは、任官の話に進みます。

(次回へ続く)

 

    著者紹介: 小林 豊  

2021年4月5日 タイ自由ランド掲載

 

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