第3章-8 チェンマイ 憲兵とのトラブル 西野順治郎列伝㉓

第3章-8 チェンマイ 憲兵とのトラブル 西野順治郎列伝㉓

第3章-8 チェンマイ 憲兵とのトラブル 西野順治郎列伝㉓

チェンマイ、ドーイステープより市内を眺望する(著者撮影)
チェンマイ、ドーイステープより市内を眺望する(著者撮影)

こんなエピソードもあります。

チェンマイで勤務中のある日未明、警察署長の来訪で起こされました。

その前夜、同地に駐在していた日本の憲兵が同地の名士4名を逮捕し、「日本軍の兵営に連れ込んだのは如何なる理由か」とのことでした。

警察署長と共に軍の駐屯地に行ってみると、華僑系の大物名士(全員タイ国籍に帰化済)が連行されて来ていました。理由は中華民国政府に抗日資金を送っている、とのことでした。

この理由は言いがかりのようで、実は金銭の寄付を求めるのが本音のように思われ、しかも、憲兵の責任者は将校でなく曹長(下士官)でした。

西野さんは、その憲兵の曹長に「タイは同盟国で日本軍は平和進駐をさせて貰っている故、タイ人を逮捕できない」と言いましたが、曹長は釈放しようとしませんでした。

そこで、西野さんはバンコクの大使に打電し、大使からタイ派遣軍に連絡の上、軍司令官命令で釈放させました。

しかし、この件について一部では西野さんが軍をして逮捕させた、と噂を流された、と記述しています。

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1942年の7月、日タイ同盟条約成立を祝賀するため広田 弘毅元首相を団長とする使節団が来タイしたので、彼はバンコク出張を命ぜられました。この命が奥さんとの出会いのきっかけとなります。

バンコクの公使館は、開戦直前に世界中で第十番目の大使館に昇格しており、事務総長格に内山 清総領事が勤務していました。

西野さんは、この機に同総領事に帰国の希望を表明しました。

通常外務省では、留学生は任官三年で一応本省に帰る制度になっており、同期の仲間も殆ど帰国していました。

しかし、内山総領事は「今、帰国すると兵隊にとられるぞ」、と脅すように言われたので帰国を諦めることにしました。

これによって、留学3年、任官5年の合計8年間のタイ勤務となります。
なお、おさらいになりますが、戦前西野さんはチェンマイ領事館に副領事として、開戦3ヵ月前の昭和16年9月より昭和18年4月までの1年8ヵ月間勤務しています。

その後バンコク赴任の命を受けました。

つまり、西野さんはチェンマイ勤務をわずかの期間勤務し、バンコクへ呼び戻されています。

なお、西野さんがチェンマイ赴任の翌月、坪上大使がバンコクに赴任しています。その命は、特命全権大使の坪上貞二氏が出しています。同大使は西野さんの能力を認めて、必要としていたからです。

西野さんは、同大使を「誠実の人」と尊敬していました。このことについては、戦後西野さんが書いた「自由シャムの横顔」の中で詳しく書かれていますので、後日ページを割いて紹介します。

注:憲兵は軍に属していて警察の役割を果たしていました。

(次回号へ続く)

著者紹介
小林 豊
1948年北海道生まれ、自称フリー作家、在タイ36年、神奈川大学卒業、小林株式会社創業者、西野順治郎氏と長年交流。