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店主物語り ⑤「これで自分の空手人生も終わってしまうのか」 「このままバンコクでやり続けよう」

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日大芸術学部を卒業して、先輩の紹介で国会議員の秘書になった信包(のぶかね)。20代前半から永田町に通う日々。都合、2人の議員の秘書を7年務めた。しかし、その後、自分で議員になろう、というつもりはなく、学校関係者の紹介で当時、もてはやされていた、テレビ制作会社に入る。主にゴルフ中継などを取り扱っていた会社で、ちょうど、吉本興業が女子プロレスを立ち上げる、というプロジェクトにも参加し、その部門に5年いた。

店主物語り ⑤「これで自分の空手人生も終わってしまうのか」 「このままバンコクでやり続けよう」

店主物語り ⑤「これで自分の空手人生も終わってしまうのか」 「このままバンコクでやり続けよう」

 

もともと、高校から空手をやり出し、大学でも剛柔流空手部に所属、卒業してからも仕事を続けながら、大学の朝連に顔を出したり、地域の区の強化コーチとして、土、日曜日も飛び回っていた。
テレビ制作会社に入る面接の時も「目標は、空手道場をつくりたい」といっていたくらいだ。

その制作会社で8年ほどたち、スポーツ番組のESPNに所属となり、NBAのバスケット中継など、昼夜逆転の生活を強いられることになった。家に帰るのは服を着替えるくらい。会社に泊まることも多くなり、昼間に行動できない。徐々に空手とも疎遠になり「仕事のためならしょうがないのかなあ。これで自分の空手人生も終わってしまうのか」と、ふっと考えることもあった。
そんな時、剛柔流空手の日本本部から「海外で指導者をさがしている」というオファーが舞い込んだ。何も考えず、心の中で「私が行きます」と叫んでいた。

よくしてもらった制作会社の社長に告げるのがつらかったが、それでも思い切って話すと、「休職という形で行きなさい」と言ってくれ、すべてを断ち切っていくつもりだった自分にとって、非常にありがたかった。

2000年12月に「イエス」と答えて、翌月2001年1月にはバンコクに舞い降りていた。38歳になっていた。
前任者だった貞廣先輩が空港まで迎えに来てくれて、その足でフアマークの競技場に直行。タイ人のナショナルチームの人たちと合宿所に入った。

コーチとしてタイ人と接したが、なかなかうまくいかない。それでも大学で日本語を勉強している学生がチームの中におり、なんとか意思疎通ができた。ただタイ人のコーチと指導方法などでの行き違いはあった。その合宿の目標はシーゲームで金メダルを取ることだったが、空手で初めての金メダルは惜しくもかなわなかった。
2年間たち、コーチとしての任務は終わったが、自分の中では不完全燃焼だった。もう少しレベルアップすることができたんじゃないか、と自答した。

休職扱いにしてくれた社長の元に帰らなくてはいけない、という思いと、タイで空手の道場をつくって、自分のチームからナショナルチームに出せるような人材を育てたい、という思いが交錯した。
迷いはあったが最終的に、1人で決心するのは簡単だった。「このままバンコクでやり続けよう」。

そう決めると、合宿所から近かったラムカムヘン通りのザ・モールのそばに適当なスペースを見つけ、そこを道場にしようと思った。テレビ制作会社の社長に電話を入れ、自分の夢であった道場を開きたい、というと、社長がわざわざ1泊2日でタイまで来てくれて、その道場となる場所も見てくれた。「がんばれ」とひと言。肩をたたかれ、少しだったが心のこもった資金的援助もしてもらった。

2003年、新しい道場「桜道場」で1からの出発。小さな子どもたちを対象としていたので、学校の前などでビラをまき、生徒募集をした。しかし、なかなか人が集まらない。「テコンドー?」と不思議がられることも多く、そのころはまだ「空手」は浸透していない。「10人のカベを越えるのに苦労した」と信包は述懐する。
こういう習いごとをするのは、タイでは決まって裕福な子。日本の漫画の影響で「カラテ」を習いにくる。すぐに強くなれると勘違いし、基本には目を向けない。タイ人の子どもに教えるのも一筋縄ではいかなかった。

再び、ナショナルチームの臨時コーチとして、かかわるようになっていたが、そのほか、バンコクにある日本の幼稚園でも指導に出向いた。バンコクに来て以来、タイで日本人に空手を教える、というイメージを持っていなかったが、実際に関わってみると、海外にいるからこそ、日本の武道を習う機会も必要なのかな、とも思うようになり、日本人相手の道場として、スクムビットへの引っ越しを考えるようになった。
そして2006年、ラムカムヘンの道場はそのままで、スクムビットにも道場を開設し、日本人の子ども相手に生徒を募った。礼儀を身につけさせたい、自分を表現できるようにさせたいなど、理由はさまざま、6~7歳を中心とした子どもが多かった。

タイのナショナルチームはレベルもかなり上がり、自分の手を離れてやっていける段階だと思っている。カンボジアにも5年前にすでに支部の道場をつくり、信包が支部長になっている。タイのコーチ契約をしていると、なかなかカンボジアにも行けない。
空手道の「道」の部分では、まだタイ人では教えられない。相手をうやまう心。勝負にこだわらない気持ち、自分を高めてくれるために相手がいる。日本人ならわかるこの「道」の部分を、なかなかタイ人は教えられないだろう、とは思う。しかし、ナショナルチームのタイ人はもう自分たちで「空手」を育てていける。

だから自分はバンコクのこの道場をベースに、カンボジアの支部にも行きたい。また、自分を必要としてくれるところに行きたい、とも思っている。タイで10年になる信包は、これからも「空手道」とともに生きていくつもりだ。(敬称略)

2010年8月5日 タイ自由ランド掲載

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