店主物語り⑪ 「タイでの浄水器事業」で10年

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大学は医学部だったが、父親が希望したもので、旭 (アキラ) が本当 にやりたいことで はなかった。しかし、日本で韓国大使館の大使を務めた父親にはさからえない。あいだ 軍隊に3年行ったのち、復学したが、 どうしても医者にさせたい父親から逃れる意味あいもあり、ロンドンに留学した。居心地のよいロンドンでそのまま、仕事に就こうと思っていた矢先、3歳の時に連れ戻された。兄の死というのもあり、帰らざるを得ない状況でもあった。戻ってくるとやはり「医者になれ!」と。

からだは大きく、ガッシ リした体格だが、小さいころから気持はやさしい子どもだった。虫1つでも殺すのはイヤ。小学生の時、カエルの解剖がある日はイヤで、あらかじめ知っていたその日に学校を休むという 少年だった。そんな子どもが、外科の先生になろうとしている。小学3年から6年の時に日本に行き、その時、父親が韓国大使を務めていた。ミッション系の学校に行ったが、日本語は読み書きもできるようになり再び、高校1年〜3年の時も、独立して事業を行っていた

父親とともに、大阪で過ごした。流陽に話す日本語は学生のころに身につけたものだ。さて、ロンドンから戻ったアキラは「卒業はしてくれ」という父親のたっての希望をごっくり飲んで、無事、医学部を卒業することになる。そのあと、インターンとして医者の実地を病院で学んでいたが、そのころ結婚し、しかしどうしても医者の道はイヤで、「タイ旅行」という名目で、学生のころの友だちが事業をやっているタイに足を踏み入れた。 「友だちの事業を手伝っ ている」と韓国の両親に報告し、「1年ほどしたら戻る」と既成事実をつくりあげていた。 タイの空気が自分に合ったというのもあるが、友だちの事業から学んだ「浄水器のレンタル事業」を、自分の会社を作って始めた。

「浄水器のレンタル事業」を、自分の会社を作って始めたアキラさん
「浄水器のレンタル事業」を、自分の会社を作って始めたアキラさん

3歳の時だ。ちょうど、10年前のタイだが、そのころは、まだ浄水器は浸透しておらず、在タイの韓国人や日本人向け にレンタルを始めた。 韓国人は浄水器の存在を知っていて、ほとんどの家 庭で浄水器を導入してくれ たが、日本人の家庭では浄水器よりも、ミネラルウォーターを買って飲む、という方が圧倒的に多かった。流陽な日本語を駆使して、タイの目本人家庭にも浄水器をアピールし、徐々に顧客を増やしていった。

そのころはまだライバル会社もほとんどない状態で、事業としては 順調に伸びていた。しかし、数年前から、同じような浄水器のレンタルや販売の会社が次々に出てきて、日本人の業者も参入してきた。浄水器というのは最終的にはフィルターの質で決まるもので、アキラ が導入しているフィルターは高品質で絶対の自信を持っていたが、タイではなかなかその点を理解する人がいない。安い価格でレンタルできる方に移ってしまうそのような値段のものは質の低いフィルターを使っており、十分に安全な水を提供できるとはいえない。

また、常にフ ィルターを交換し、管理していないといけないため、一度、顧客になったからといって放っておくことはできない。そのあたりのアフターケアも細かくて難しいところだ。

そしてリーマンショックさらに今年の赤服の占拠で、顧客の3%は自国に帰ってしまった。薄の事業のうえに顧客が減ってしまい、さらに競合会社 との客の取り合いも重なる。それでも、この8月ごろから徐々に客は戻ってきており、一時期の状態は脱した。

現在、顧客は日本人、韓 国人、欧米人、タイ人などさまざまだが、これだけ業者が参入してきた状態で利益を上げていく、というのも難しい。タイでの韓国ブランドの浸透の後押しを得て、また流陽な日本語も駆使して、今後はさらに新たな事業を模索していくことが必要だと考えている。 (敬称略) 本紙6面の 広告も参照で。

 

2010年11月5日 タイ自由ランド掲載

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