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店主物語り ⑨ シンガポールのホテル内に「ミナト理容室」 、ハサミ1つで生きてきて45年

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Untitled-1小さいときからからだが弱かった平野は、人をきれいにしたい、という気持ちを持つ純粋な少年だった。そんな少年が成長し、理容系の学校を出て、25歳で、帝国ホテルの中にある「及川」という理髪店に就職する。他にも高級ホテルにテナントとして入っている店で、帝国ホテルではずらりと並んだ台は15台。さらに個室も完備していた。

男性専用だが、1970年当時で何と12000円の散髪料だった。そのため、客は実業家や有名人、代議士の先生、そして宿泊する外国人客など。

見習いをすぎ、すでに30を越えた平野は、外国人をまかされることも多くなり、自然に英語も身に付けていった。たびたび個室でのカットもまかされるようになり、主任にのぼりつめていった。

当時の有名人では、一番、思い出に残るのは三橋美智也さん、そして渥美清さん。さらに森繁久彌さんなど。森繁さんはひげの扱いもうるさかった。ていねいにパーマをかけるのが常だった。

それから平野は結婚し、早く独立したいと思うようになっていた。それでまず、お金を貯めること。これに全力を注いだ。

1000万円は貯めたいと思っていたので、床屋の仕事だけでは追いつかない。早朝と夜は、読売新聞社の食堂でキャッシャーのアルバイトも、床屋には内緒でやっていた。

そして、ある程度、たまったところで、独立するか、家を買うか、という選択肢を目の前に並べた。家は下北沢の2階建てが1500万円で売り出されていた。そこで所帯を持つ夢も描いたが、結局は離婚してしまい、独立も家も自分の中では力が抜けたように消えていってしまった。

床屋の独立といっても、家族でやるわけではないため、自分以外の従業員の確保が重要。しかし、独立して行った先輩を見ても、従業員の確保に苦しんでいる。理髪店は、そんなに簡単に独立してうまくいくという商売ではなかった。

40になった平野はそんな時、オータニホテルから「シンガポールで日本人の理髪業者を捜している」という話をもらい、カットで外国人にも慣れていた平野は、即座にその話に乗り、詳細を詰めた。


店主物語り ⑨ シンガポールのホテル内に「ミナト理容室」 、ハサミ1つで生きてきて45年

店主物語り ⑨ シンガポールのホテル内に「ミナト理容室」 、ハサミ1つで生きてきて45年

 

シンガポールのキングスホテルというところで、日本人が支配人をしていて、そこに店を出す。場所を買い取り、機材も日本から持っていく。あれこれ800万円ほどをつぎ込み、シンガポールのホテル内に自分の店「ミナト理容室」を完成させた。

1980年過ぎだったが、シンガポールには他に日本の床屋さんもなく、オープン当初から日本人ビジネスマンらが押しかけ、1ヵ月で250万円以上の収入になった。

昼間はゴルフをし、夜は店に立ち、非常に快適なシンガポール生活だった。

しかし、シンガポールでは日本人の理容師が、店で客の髪を切ることは違法。そういう形では働くことはできない。

ホテルの中であり、また日本人支配人のもとであったことで当局の目からのがれられたのだろう。

しかし、6年目。平野は連行された。「仕事をしていたでしょう」「いや、従業員にやり方を見せていただけです」。そんな押し問答が続き、お互いの意地の張り合いになった。

平野は知り合いの日本人から「認めれば罰金は5万ドル」という話を聞いていたので、ガンとして担当官の誘いには応じなかった。

解放された平野だが、実質的な拘束が続いて、最後には「罰金がこわくて言えないのかい? 罰金は800ドルだよ。認めてくれよ」と担当官にいわれ、平野は首を縦に振った。

楽しかったシンガポール生活もこれで終わりを迎え、荷物を成田向けに送ったところで、タイでクラブなどを持つ小池に「タイに来てやれば」と誘いを受け、成田に戻した荷物を再びタイに送って、タイでやってみることにした。

タイでも同じく、「日本人が理髪店を経営する」というのは前代未聞のことのようだったが、100%ダメ、ということでもない。まずは実際にやってみなくてはわからない、と店の場所探しから始まった。

小林(株)で探してもらったスクムビット・ソイ12の物件などを見て回ったが、自分で探したソイ41にあったジャンボ・スーパーの一画の、テナントが集まるところが気に入った。一方通行の多いタイではその道沿いだけは避けたかった、というのもある。今ではBTSプロンポン駅でにぎわう周辺だが、今から22年前の当時は、博多ぐらいしか日本料理店もなかった。

シンガポールでの名まえと同じ「ミナト理容室」はオープンしたが、「日本人がなぜ理容室をできるのか?」「日本人が理髪業で働けるの?」などとまわりからも言われ、家主からも冷たくされ、客もあまり来なかった。

タイでは、客を相手に髪を切る、という行為については、タイ人の仕事を奪い取る、という観点から外国人には労働許可証を認めていなかった。イミグレーションもたびたびやって来た。そのため、平野もどうしたらいいものかと、いろいろ人にも相談した。

その後、平野はタイ人と結婚し、永住権の申請をする。タイ人の有力者の進言に従ったもので、普通ならタイに来たばかりの日本人は永住権など取れないが、平野は50万バーツちょっとでそれを手にする。

理容業を営む外国人経営者については、タイでは労働許可証がとれるので、女房がタイ人、そして永住権も持っている、と来れば、イヤガラセはなくなった。日本人のビジネスマンらの客も徐々に増え、店内には入り切らず、外で待ってもらう、という日もあり、1日に100人をこなすという時もあった。

その後、徐々に日系の美容室、理容室が出来て、客が分散されるようになった。タイの理髪店はバリカンを使うケースも多いが、それがイヤ、というエリートタイ人も平野のハサミを慕ってやってくる。

現在、70歳を迎える平野だが、店に立つ彼はまったくそんな年齢を感じさせない。

「今が一番しあわせだね」とつぶやく。家も買ったし、子どもも大きくなったし、「かあちゃんも逃げる心配はないしね…」と笑う。

ハサミ1つで生きてきた平野は都合45年。日本を離れてシンガポール、そしてタイにたどりついたが、今ではタイを選んでよかったと思う。以前は、死んだら日本の墓に入りたいと思っていたけど、今はタイの墓でもよい。そう思うようになった。 (敬称略)

2010年10月5日 タイ自由ランド掲載

 

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店主物語り⑪

 

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