店主物語り ⑦日本村で断トツの超人気店。もう一度、日の当たるところにでなくては


Untitled-1 バンコクでの日本料理店「あげ半」の立ち上げで、香港に1年半ほど勤めていた金沢が香港から派遣される。しかし、総支配人とうまく行かず半年で辞め、その後、タイにしばらく滞在し、遊びふけっていた。そのあと今のタイ人の奥さんと知り合い、「タイで店でもやるか」と気持ちが入り、日本からお金も持ってきて、物件を探し始めた。そんな時、日本村の桜井と出会い、そこにテナントを借りることにし、まとまったお金を稼ぐため、地元の北海道にタイ人の妻も連れて、なじみのトマム・リゾートホテルの調理人として短期で働くことに。もちろん、妻は皿洗いだったが2人で1ヵ月、70万円は稼いだだろうか。住み込みのため、3ヵ月でかなりの金額になった。

そして、タイに戻り、日本村に入居する店舗の仕上げ。ちょうど、通貨危機のまっただなかだっただろうか。かなりの不安はあった。

店名については、もうかるという意味も含め「蔵」をつけた名前にしたいと思っていた。トマムで働いた時の知り合いが「会津の方に蔵太鼓という地酒がある」といわれ、「これだ!」とピンときた。

東京・赤羽の割烹から始まった自分の調理人生だが、ここで初めて自分の店「蔵太鼓」を持つことになる。40になる金沢も「やってやるぞ」と意気込みを持っていた。

通貨危機ののちの不況ということもあり、日本人駐在員の財布のヒモはかたい。そんななかで、「ろばた」を売りにし、北海道出身で魚介には妥協のない自分の特徴を全面に出し、イカのポンポン焼きやスタミナ納豆、はまぐりバター、海鮮丼など、次々に人気メニューを繰り出し、「活造りもとってもお得な値段で食べられる」と口コミで人気が爆発。連日、満員で、日本村では断トツの超人気店になっていた。

それでも30人ちょっとの座席では、1人単価500バーツとしても15000バーツ。2回転したとしても1日3万バーツの売り上げ。
「あのころは1日3万というのは数えるほどしかなかった」と振り返る金沢。1ヵ月の売り上げは70~80万バーツが精いっぱいだった。

そこで、手狭な日本村に見切りをつけ、近くの、今の割烹花子のとなりに敷地を借り、一から「蔵太鼓」用の屋敷を建設。仕上げるまで400万

店主物語り ⑦日本村で断トツの超人気店。もう一度、日の当たるところにでなくては

店主物語り ⑦日本村で断トツの超人気店。もう一度、日の当たるところにでなくては

バーツほどはかかっただろうか。それでも待ち客や満員で帰る客まですべて受け入れれば、きっとやっていける、と自信がついていた金沢は、気持もデッカくなっていた。100人以上入れる店内で、らせん状の階段で上がる2階など、凝った造りで差別化をはかった。

客が入店すると、ドンドンと太鼓が鳴るのもイキで、日本村の常連客がそのままやって来て、こちらでも大繁盛。

いかした店内はタイ人客をも引きつけた。もちろん、リーズナブルでボリュームのある海鮮、魚介は相変わらずで、売り上げも1ヵ月200万バーツ近く、ざっくざっくもうかるスパイラルのようだった。BMWなども常時2台はあった。

この時が絶頂期だったのかもしれない。

だまっていてもお金は入ってくる。そしてたまっていく。そんななかで金沢は次の構想を考えていた。頭に描いていたのは、タイ人も来れるエンターテイメントの店、そこでシーフードなども味わえる店をやりたい、と思うようになっていた。

そこで内装に入り、まるでユニバーサル・スタジオのような、キングコングが外壁に陣取る奇抜な外観。店内もステージやピアノ、照明など、凝った造りでこれも400万バーツ近くかかっただろうか。

イメージとしてはエカマイにあるパブのようなノリで、タイ人やそしてトンロー界隈の日本人も詰め掛けるような、それでいておいしい食事もできる、そんな店を想像していた。

しかし、ふたをあけてみると、思惑通りにはいかなかった。なかなか客が来ない。タイ風のシーフードも中途半端だったかもしれない。有名アーティストのステージも催したが単発に終わり、人件費や維持費、10万バーツの家賃も重荷になってきた。

見通しが甘かったと言われればそうだが、やはりモチ屋はモチ屋。調理人は調理人。やったこともない店のかじ取りをしたのが間違いだったかもしれない。

この店「ドリーム」はとにかく持ち出しが続き、BMWも売るはめになり、店を閉じて逃げるように出て行った。

続いて、フジ・スーパーの向かいで「蔵太鼓」をひっそりオープン。しかし、魂を抜かれたような金沢の状態は「また盛り返して」という気力とは程遠かった。結局、「夜は客が来ない」とフジの向かいを見限って、ラプラオのソイ71に移った。まるで石ころが転げ落ちるような展開だが、それでも金沢は腕1本で生きてきた自信と誇りは持っており、どん底に行けば、「雇われもアリかな」とは思っていた。

ラプラオでは「タム・セープ」というタイ料理店を開く。もちろん、金沢はタイ料理を作りはしないが、味の確認は自分でやった。1年くらい続いただろうか。そののち、パタナカーンのジャスコの一画に「サーモン亭」を開いた。主にタイ人向けの日本料理店だが、何とか自分と妻、そして従業員らが食べていくのが精いっぱい。お金を残す、というところまではいかなかった。

1年半ほどたち、このままこうやっているわけにはいかない。もう一度、日の当たるところにでなくては。そう考えると、やはり場所はスクムビット界隈しかない。物件を探し、トンローの小さなスペースを見つけ、20万バーツちょっとで内装を済ませた。一時は400万バーツで内装をしていた身だが、今や20万バーツである。

だけども、自分の舌を信じている。おいしいもの、鮮度のいいもの、手ごろな値段のものを出せば客は来る。それを地道にやっていけば必ず道は開ける。

8月末に看板をあげ「蔵太鼓」はオープンした。ウニやほたて、ウナギなど7種の握りが290バーツなど、新鮮で安くで魚介を提供する姿勢は変わらない。

通りからパッと見た店舗は、まるで、昔の有名店「蔵太鼓」の名まえを利用した悪いジョークの店の出現かな、と思わせるが、そうではない。彼本人の出店なのだ。

あの栄光は過去のものだが、あれから苦しい幾多の経験を積んで金沢も成長した。もちろん、この店で終わるつもりはない。秘めた気持ちとともに53歳になる金沢の第2幕が始まった。(敬称略)

2010年9月5日 タイ自由ランド掲載

 

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