西野順治郎列伝 95 第12章- 1-1 西野さんと日本人会理事
西野順治郎さんのタイにおける活躍は、大きく三つの分野に分けられます。
一つは日本人理事としての活動、二つ目はJCC(商工会議所)の活動、そして日本人学校の理事です。
今回は、日本人会理事としての活動を取り上げ、西野さんの足跡をたどります。
その後、日本人会100周年記念誌からの抜粋を通じて当時の日本人会の活動を探ってみましょう。
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理事としての活躍
日本人会100周年記念誌には、歴代理事一覧表があります。
この表に基ずき、西野さんが活躍した軌跡を辿りましょう。
昭和43年4月(1968年)51歳の時に日本人会理事に無任の理事に就任しています。
この時、社内では社長に次ぐ次長職にあたり、比較的自由な時間を持っていました。
また、会報「クルンテープ」誌は、西野さんが編集責任者に就任する8カ月前に創刊されています。
会報「クルンテープ」の編集責任者として二年間任期を務めた後、つまり3年間の理事歴を経て、昭和46年4月より日本人会長に就任しています。この時点で54歳で、連続8年間会長職を務め、この記録は歴代日本人会長の中で最長のものでした。
会長退任時は62歳で、その後(昭和53年4月)3年間は副会長職に留まりました。
昭和56年4月(64歳)に副会長を退任し、その後6年間無任理の事を努めて、昭和62年(1987年)に理事を退任しています。
これにより、通算で日本人会理事としては20年間にわたる活動となります。
その間、歴代日本人会の会長として、顕著な業績を挙げています。
このように長く理事を務めた人物に、追って紹介する小野雅司(84歳)さんがいます。
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西野会長在任時の主な出来事を振り返ってみましょう。
1971年(昭和46年)4月 会長就任
1971年6月11日から12日まで皇太子殿下(現上皇)美智子妃殿下タイ訪問
1972年1月 大学生の日本商品不買活動の活発化
1973年12月 日本商品に対する学生抗議活動
1974年(昭和49年)1月 田中首相タイ訪問、抗議デモ
1974年7月 私立学校法に基づく泰日教会学校として日本人学校が認可を受ける
1977年6月 西野会長が田中通商産業大臣より表彰を受ける
1978年(昭和53年)1月27日から2月7日まで、遺骨収集団来タイ
1978年3月 南事務局長が定年退職
1979年3月 新事務局長に新井定修氏が就任1979年4月 日本人会長を退任
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日本人会長としての評価
西野さんの日本人会での活躍は、日本人会100年史(2013年発行)に以下のようにまとめられています。
「30代 西野順治郎(トーメン)昭和46年から54年まで歴代会長の中でも最も長く会長を務められ、日タイ親善に力を入れられ、その功績によりタイ国政府より勲三等王冠勲章を、日本政府より勲三等瑞宝章を授与された。長年にわたり当会の会報「クルンテープ」の発行責任者として、またタイ日協会学校の理事長としてそれぞれの発展に尽力された」
(次回号へ続く)
2024年7月5日 タイ自由ランド掲載
西野さんが編集責任者として携わった会報「クルンテープ」や、日本人学校の発展にも尽力されたことは、在タイ日本人コミュニティ全体への深い貢献を示しています。
両国政府から勲章を授与されたことは、西野さんの努力と功績が高く評価された証です。このような先人の努力があったからこそ、現在の日タイ関係があるのだと感じます。
西野さんの生涯は、海外で活躍する日本人ビジネスパーソンの模範となる素晴らしい例だと思います。さらに詳しく知りたくなりました!
#日タイ友好 #海外で活躍する日本人 #国際交流の歴史
²: [The New York Times](https://www.nytimes.com/2018/02/03/world/asia/mount-everest-how-tall-nepal.html)
ソース: Bing との会話 2024/1/10
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.