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はじめに

 新野さんと西野さんは、多くの共通点があります。

それぞれ異なる道を歩んだニ人ですが、彼らの人生を振り返えると、不思議なほど似た価値観や信念に気づかされます。

  ...

未分類,西野順治郎

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 1999年、「クルンテープ」広報誌の担当者から、新役員に就任された各理事に対し、次の項目でひと口エッセイの依頼がありました。

①年齢 ②家族構成 ③趣味、好きなタイの果物/食べ物 ④本年度の役員 ...

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ロータリー活動

 二人は、世界的な社会奉仕団体であるロータリークラブに所属し、積極的に活動をしています。石平さんは「Rotary Club of Bangkok South」に所 ...

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初めに

 今回取り上げる石平さんと西野さんは、ともに日本人会活動に大いに貢献した人物です。両者にはいくつかの共通点が見られます。

① 長期間にわたり日本人会活動に従事 ...

未分類,西野順治郎

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 そごうバンコク店のオープン時期は、著者がちょうどタイに来た1984年頃であり、東急、伊勢丹など、日系デパートのオープンラッシュが続いていました。

 すでにオープンしていたタイ大 ...

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 中でも東京新聞系各紙(中日、西日本、北海道、琉球新聞など)はこの遺跡改修計画を大々的に取扱ってくれました。

 その結果、未知の方からも電話や手紙で激励を受けましたが、中には友人 ...

未分類,西野順治郎

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 以下の内容は、1978年、日本人会会長を務めていた西野順治郎氏が61歳のときに、日本人会報(1978年1月号)へ投稿されたものです。ここに転載し、紹介いたします。 )  × × ×

 泰日協会は、在留 ...

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はじめに

 西野さんは、アユタヤ日本人村にどのように関わってきたのでしょうか。

 この問いを念頭に置きながら、文章を進めていきます。当時、西野さんはタイ日協会の副会長 ...

未分類,西野順治郎

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 今回は、加藤郁郎氏と西野順治郎氏について紹介します。

 加藤氏は、ゲイソントラベルに勤務していた人物であり、西野氏、アマリングループの松田嘉久氏、サリ ...

未分類,西野順治郎

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 松田社長を通じて鹿沼グループと関係を持つことになった西野氏ですが、深い関係に至ることはありませんでした。

 西野氏は、さまざまなビジネスの案件に対しても、軽率に関わることなく、 ...

西野順治郎,未分類

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  松田氏は西野氏と同い年で1917年の生まれです。

 つまり、西野氏の方がわずか3カ月間早く生まれただけで、先輩・後輩というより、同年代の仲間として交流していたことがわかります。

  ...

西野順治郎,未分類

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 初めに

  1970年代にバンコクにアマリンホテルが存在していたことは、ほとんどの人が知らないでしょう。 著者もその一人です。この話は、長くタイに住んでいた加藤郁郎氏( ...

未分類,西野順治郎

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現在、「列伝」は114号を連載中ですが、途中からの読み始めた方のために、これまでの歩みを振り返ってみましょう。

 Chat GPTに「西野順治郎氏について、タイ自由 ...

未分類,西野順治郎

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 この新聞社への入社によって、マスコミという夢のある世界に踏み入れ、生活が安定し、過ごすことができました。さらに、プライベートな事柄や、その時の社会問題についても取り ...

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 戦後、瀬戸さんはバンブアトン収容所で再び西野さんに遭遇します。

 「会った」という表現は適切でなく、「姿を見た」という表現が適切でしょう。西野さんは、タイ政府との窓口担当としてこの収容所を訪れて ...

未分類,西野順治郎

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はじめに 

 タイに永住している日本人の中で、94歳という高齢ながらも元気で家族と共に余生を送っている人がいます。その方は、言わずもがな瀬戸正夫さんです。

 瀬戸さんは、西野 ...

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 もう一つの理由として、既に述べている通り、小谷さんは1年先輩なので西野さんは後輩として振る舞う必要がありました。

 一方、松田さんとは同い年であり、「同僚」としての付き ...

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悪評の原因は何か?

 神奈川大学の同窓であり、元日本人会会長である大橋寅治郎さんは、ある時西野さんについて著者にアドバイスしてくれました。

 「西野さんは敵が多いので、あまり西野さんの ...

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事業部長時の実績

 日本人会内には約20の担当部がありますが、小谷さんは主に事業部を担当していました。

 部外者にとって、日本人会の事業部がどのような活動をし ...

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ラオス調査団での二人の交流

 この出来事については、既に西野順治列伝68回にて紹介済です。

 1955年7月、日本政府による官民合同ミッションがラオスを訪問し ...

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 これから、戦前からタイに住み、戦後タイに永住した小谷(こたに)亀太郎さんと西野順治郎さんの交流について書き綴ります。

 この二人の関係は、争いはないものの、常に緊張感に ...

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   西野さんは生前、多くの人と交流がありましたが、その中で、同窓の横浜専門学校の貿易学科を卒業した神尾秀雄さんもその一人でした。

 今回は、同氏と西野さんについて、少ない資料の中からその親交内容を探っていきたいと思います ...

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  日・タイ関係について見ますと、勿論両国は以前から友好関係にありますが、私の着任後1年を経ずしてそれまで小康を保っていた貿易不均衡が再び拡大し始め、この問題を主因として新聞紙上に対し対日批判記事が頻繁に見ら ...

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先に「歴代大使と西野順治郎さん」のタイトルで書きましたが、今回はその中で一番親しく交流された人見宏大使について紹介します。 ...

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初めに 

 今回は、歴代大使と西野さんとの関係についてお話したいと思います。

 まずは戦前のお話に遡りますが、1940年9月に外務省から任官を受けたときの在タイ公使は村井倉松公使でしたが、西野さんと村 ...

未分類,西野順治郎

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しかし、治外法権から外れたことで、日本人学校はタイ政府の目にさらされることになりました。

 この件については、日本人の間では議論されず、もっぱら泰日協会内で議論されました。

 泰日協会は、西野さんが日本人会理事 ...

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西野さんの列伝を書いていますが、日本人会活動においてどうしても外せない重要な人物がいます。

それは元日本人会長の小野雅司さんです。

 1938年9月生まれ(8 ...

西野順治郎,未分類

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西野順治郎氏の列伝を執筆していますが、その中でどうしても外せない人がいます。

 その人は、バンコクで日本食を一筋に歩んできた石井良一さんです。

 タニヤの「酒の店」の経営者といえば、日 ...

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会報「クルンテープ」の創刊

 大峡会長第29代会長山本一(川崎汽船、在任1968年から1970年)の交代があった頃には、会員数は1500名に達し名実ともにタイにおける日本人の親睦団体として充実しつ ...

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西野順治郎さんのタイにおける活躍は、大きく三つの分野に分けられます。

 一つは日本人理事としての活動、二つ目はJCC(商工会議所)の活動、そして日本人学校の理事です。

 今回は、日本人会理事としての活動を取り上 ...

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人間関係

日本人は余りにも経営者への出世コースにこだわりすぎ、また労働組合との関係もあってローテーションを考えるが、人と人との繋がりを重視するのはタイのみでなく東南アジア全体の問題である。

日本人の場合は、よう ...

西野順治郎

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父親の利一郎さんは村で律義者として通った真面目で厳しい人物として知られていた、とのこと。
 

徴兵検査を受けて深山重砲第4連隊に入営し、選ばれて横須賀の砲術学校に留学させられ、東京赤羽にあった砲兵工廠の研修を経て特 ...

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この会議には、日本から中曽根通産大臣が出席したが、タイの産業機構の現状から考えると画期的な期待は望めないどころか下手をすると逆にタイ側を失望させて再び日貨排斥運動が起こることも考えられよう。

従って、日タイ関係の現状はこれ ...

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初めに
今回から4回にわたり西野さんが執筆した論文「日本とタイの関係改善への提言」について紹介します。
今回の「論文」は時事通信社発行の「世界週報」に初めて掲載されたもので、その内容がその後1973年4月号の「クルンテ ...

未分類,西野順治郎

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周到に準備

以下、余り知られていない裏話を紹介しましょう。

田中首相のタイ訪問については、その半年前頃から立案されていました。

成功裏に訪問を終わらせたいという考えから、藤 ...

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しかしその真相は・・・。

1月9日、タイ政府の国賓として田中首相到着の日に、ドンムアン空港の外に日本語で書かれた「田中帰れ」というプラカードを掲げられているのを筆者も目撃した。

また一行が宿舎エラワンホテルに入 ...

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相手の立場を充分理解して接すれば先方もこちらを理解するようになるものである。

田中首相タイ訪問と前後して、タイ字新聞に呼応するかのように日本国内のマスコミもタイにおける反日運動を連日大々的に取り扱った。

このた ...

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初めに
西野順治郎列伝の中で、田中角栄首相のタイ訪問は歴史的に記録された出来事です。

その混乱の中で、西野さんが対応できた事は、元大使館員として身に余る光栄と感じた事でしょう。

これらの出来事について、 ...

西野順治郎,未分類

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しかし乍ら、タイでは政変後の開放感と前掲石油問題などに拍車をかけられているインフレ・ムードのため73年末より全国至る処で山猫ストが起こっているのは遺憾である。

従来の賃金ベースでは低過ぎたとはいえ法律に規定されている調停や ...

ランチセット,料理店,未分類,西野順治郎,宴会、パーティーによい店,ランチならココ!

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西野さんは、田中首相のタイ訪問2年前から、既に述べたようにJCC役員に就任しており、無役職の筆頭理事に任命されています。
この任命は70年のJCCの歴史の中で西野さんだけが経験したものでした。事実上、会頭代理のように扱われまし ...

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今から50年前、タイで反日運動が起こり日本製品の不買運動が起きたことを知っている人は、だんだん少なくなって来ています。
その渦中にあって、西野さんはタイと日本の友好のために奮闘しましたが、これらについて以下3回に渡り書き綴って ...

未分類,西野順治郎

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この西野順治郎列伝シリーズも、お陰で第80回に至りました。

前回までの第10章では、国営紡績工場とタイ東レ工場の立ち上げを描きました。

西野さんは、これらのプロジェクトを成功裡に導き、社内で「不動な立場」を築き ...

未分類,西野順治郎

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工場の拡張

第一工場を立ち上げ後、次々と工場を立ち上げました。
それは、1981年にタイ証券市場に上場したことにより、大規模な資金調達を得たからです。
一方、トーメン社も株式上場による利益を受け内部留保を増加させました。 ...

未分類,西野順治郎

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日タイの貿易関係は年々増加しており、最近では日本からタイへの輸出額が年1億5千万ドルに達しています。
一方、輸入は1億ドルで、このアンバランス是正に努力を払っております。

また、東棉では当バンコク支店はその規模から ...

西野順治郎,未分類

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東レの森広三郎社長は、戦時中三井物産バンコク支店長を勤めており、東棉の香川英史社長、西野さんとも親交のあった仲でした。

なお、西野さんは戦前バンコクで森 社長と既に会っています。さらに、バンブアトン収容所では、森さんは第一 ...

未分類,西野順治郎

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初めに
西野さんが人生において輝かしい実績を残したプロジェクトに国営繊維工場の設立とタイへの誘致、立ち上げ、運営を進めたタイ東レの工場設立があります。

西野さんのタイ支店長就任は、53歳の時で、東レのプロジェクトは ...

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西野さんは、戦前大使館勤務を始めた頃この書を愛用した事でしょう。
これから、その本について紹介して行きます。

現在のように情報があふれている時代とは違って、当時情報入手は困難な時代で唯一この本のみでした。 ...

未分類,西野順治郎

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この記事を書くに当たり、現地に行って現状を調べて見ました。
工場があった場所は、ピサヌロークの中心から東側に約2キロ位離れた所で住宅地域にあるタイ国軍の遊休地でした。
その場所の正面の看板には、第34開発部隊と表示され ...

未分類,西野順治郎

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ここで、再度おさらいです。
特別円とは、戦時中にタイ駐留の日本軍がタイ政府から借りた軍費のことで、日本政府は96億円の返済を約束していました。
西野さんは、両国政府と折衝してこの内、約25億円をこのプロジェクトに充てる ...

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繰り返しますが、東棉は、タイ政府と日本商社として最初のターンキー契約を締結し、一貫工場の建設を完成しました。

ちなみに「ターンキー契約」とは、プラント輸出等において、設計から機器・資材・役務の調達、建設及び試運転までの全業 ...

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さらに、プロジェクトの話に入る前に「特別円」について説明して置きましょう。

西野さんは、タイと日本の政治動向を熟知していたので、この特別円の存在も当然フォローしていました。

戦時中、タイ駐留の日本軍がタイ政府か ...

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初めに

西野さんのタイでの商社マンとしての大きな実績は、このプロジェクトから始まります。

すなわち、タイ国軍が運営していた国営紡績工場が老朽化していたので、それを日本からの最新設備を導入して最新の繊維工場に立ち ...

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この時、西野さんは支店長代理に任命され、輸出担当以外に支店長の補佐役も務めました。
1959年に内地の穀肥油量課長の席が開くので、帰国しないかとの話が本社から来ましたが、その時の宇敷正章支店長(後に取 ...

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このような昼間お得意さん回り、夕方本社報告の状態が1年ほど続きましたが、1952年暮れより米受け渡し担当者として松村仁さんが着任したので、西野さんは米以外の全ての商品を受け持つ事になりました。

 

1 ...

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1951年に日本政府の在外事務所(大使館設置前の事務所)の設置が認められると同時に、商社の派遣員の海外駐在も認められるようになり、バンコクにも既に数社の派遣員が来ていました。

東棉も繊維部門出身の管輝雄氏(戦時中バンコク支 ...

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話しを進める前に少し横道に逸れますが、この東洋綿花(トーメン)の会社について少し説明しましょう。

1921年(大正10年)三井物産の綿花部門が独立して、綿花と繊維を扱う総合商社となりました。
東洋綿花という社名に「 ...

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なお、1950年頃より占領軍は海外の諸国に外交機関に代わる在外事務所設置を認め、また商社の渡航も容認するようになりました。

しかし、戦後の商社には充分な海外要員が育っていなかったため、多くの外務、通産省から公務員が民間商社 ...

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チェンマイに住んでいる友達がいますが、その彼と西野さんの話題の際、白洲次郎さんの名前が出て来ました。
その時、白洲次郎と聞いて著者は「あぁー彼(白洲次郎)のことは本で読んだことがある」と応じました。
白洲次郎氏を知って ...

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初めに

タイから帰還した西野さんは、外務省に復職したものの1年後外務省から商工省(現在の経済産業省)に出向を命じられています。
それは、「片道切符」で、外務省は当時定員オーバーだったからです。
そして、商工省での勤務の後 ...

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この本の表紙にキンナラ(タイ語でキンナリー)をモチーフにした像が描かれています。
ちなみに、このキンナラはインド神話に登場する音楽の神々です。また、「自由シャムの横顔」のローマ字表示もあります。

これは、日本語のみ ...

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初めに

西野さんは、生前以下4冊の本を発行しています。
「自由シャムの横顔」船形書院、1948年
「メナムの残照」角川書店(角川文庫) 1978年
「日タイ四百年史」時事通信社 1984年
「タイの大地と ...

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昭和22年8月、6ヵ月の研修を終え商工省調査局第一課に配属となりました。
なお、辞令は「商工事務官 商工省へ出向ヲ命ズ 渉外部外課勤務」でした。
しかし、本人はこの辞令をどの程度予測していたでしょうか。
西野さ ...

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新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
× × × × × × ×
繰り返しますが、1946年8月単身で上京し、帰国報告のため外務省に登庁した西野さんは、幸運にも外務次官、寺崎 ...

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吉田外務大臣、寺崎次官ともに、戦時中は軍に抗して辛酸(しんさん)を嘗(な)めた人だけに意志の強い反面、温情的な性格の持ち主だったようです。
よって、勤務上嫌な思いをしたことはなく、ツーカーの仲だったようです。
しかし毎 ...

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タイからの引き上げで西野さん達のグループが乗船したのは、第一陣でした。

なお、第二陣、第三陣と続き、第三陣が1946年11月23日長崎の佐世保に入港し、最後のタイからの帰還組となりました。
× × × ×

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戦争に敗れたので、大使館員といえども民間人と共に引き上げて来たのです。

この時、仮に特権があったとしても、西野さんはそれを利用しなかったでしょう。

西野さんは、いつでも特権を乱用する人 ...

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バンブアトン収容所を語る時、微笑ましい話があります。
それは 、6歳になる浅丘ルリ子さんが、収容所で収容されて過ごしていたことです。
このことは、西野さんも著者に話してくれたことがありました。
女優の浅丘ルリ子 ...

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この間、西野さんと鶴見清彦官補(後にジュネーブ国際機関大使)だけは、タイ官憲や在留邦人との連絡のため収容所に入らず、外出を許可されていました。

バンブアトン収容所へも、視察、慰問を兼ねて何回か訪問しました。

そ ...

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終戦と共に日本と各国との外交関係は断絶させられ、在タイ日本大使館の全ての機能は9月11日に閉鎖され、大使館員は山本熊一大使以下約182名(男子71名、女子85名、子供26名)で、9月14日から旧ペッブリー通りの、大使館公邸と隣接してい ...

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しばらくして、石川総領事がマイクの前に立ちました。

「皆さん、只今大使閣下が代読された勅語の通り、日本政府は連合国から提示されたポツダム宣言を受諾して戦争を終結することになりました。」

(著者注:終戦当時日本大 ...

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終戦当日の様子について、西野さんは詳細に記述していますので以下紹介します。
× × ×
ペッブリー通りの日本大使館官邸では、裏の広い庭に日本人会から連絡を受けた数百人の在留邦人が集まっていました。

ベランダ ...

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陸軍大佐、辻政信の話

また彼(西野)の記憶では、タイに駐在していた陸軍大佐の辻政信は「右翼」の人物で、タイの占領や自由タイを逮捕するように大使館に申し出ることもありましたが、1945年8月に日本が無条件降伏を宣言した時、辻政信大佐は戦犯 ...

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サーイユット大将の著書より

当時私は、第一陸部隊第29番隊所属、第12番陸軍省第一援護部隊の少佐で、バンコクのセーンセープ運河からバーンスー運河までの守備任務を任されました。

その後カセサート大学の要塞に移動し、1943年日 ...

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初めに

サーイユット・カートポン大将が西野順治郎さんについて、取り上げている書物が見つかりましたので紹介します。

タイ国陸軍司令官を務めた彼は、現在99歳で戦時中に西野さんの存在を認めていたという話で、その内容を以下順追って ...

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なお、大使館は9月11日付けで閉鎖、14日より軟禁されましたが、西野さんともう一人の大使館員は窓口要員として外出が許されていました。

× × × × × × × × × × × ×

中村中将が残した辞世の句は、 ...

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初めに

今回、西野順治郎氏と浜田中(ひとし)中将、第39軍参謀兼タイ国日本大使館附武官について取り上げます。
戦時中のタイに於いて、浜田中将より中村明人(あけと)タイ国駐屯軍司令官の方が有名です。

なぜなら、既に書い ...

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1945年(昭和20年)8月10日、日本政府は、同盟通信社(戦後共同、時事通信社に分割)を通じ、連合国が発表した降伏条件を示すポツダム宣言を受諾する意向を伝えました。

タイの新聞は、このニュースを翌11日の朝刊で大々的に報 ...

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この阿波丸は、2,000人の外務官僚や民間人及びその家族を乗せて、戦時中の船では珍しく安全を約束されて、堂々たる照明を付けて祖国に向かったのであるが、4月1日夜アメリカ潜水艦の魚雷を受けて一瞬にして沈没したのである。

そし ...

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今回から2回にわたり、西野さん家族が阿波丸に乗船しなかったため、災難に合わなかったという出来事を西野さんの書物より紹介します。

× × ×

民間の所有する商船は船舶運営会の指揮下に置かれ運用に供されていた。

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著者は西野順治郎さんと長い交流の中で、阿波丸のことを何度か話題として聞いたことがあります。

それだけ関心のある話として脳裏にとどまっていて、他の人に話さずにはおれなかったからでしょう。

戦争中の体験として、まさ ...

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冨田先生は大学でタイ語を教えていた頃、学生に対して「タイには西野順治郎という元在タイ日本大使館員で、現在商社マンをしている人がいる」と話していました。

これは冨田先生が、西野さんの能力を認め尊敬し ...

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初めに

加藤郁郎氏は、昨年の8月に肺炎で昇天しています。そのことを知ったのは最近なので、急遽追悼の意味も含めて、加藤郁郎氏と西野順治郎氏について紹介します。

それは著者が来タイした頃の話で、ゲイソントラベルの加藤郁郎氏が、西 ...

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初めに

西野さんの生涯の中で、付かず離れずの関係で交流していた人に冨田竹二郎先生がいました。
2人ともタイ語を学ぶためタイに留学した経験があり、年齢的にもほぼ同じでさらに関西出身と言う共通の同郷意識もあり交流していたのではないで ...

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初めに

西野順治郎氏の列伝を連載していますが、今回は特別に戦前のチェンマイの出来事を挿入します。
話をする前に写真をご覧になって下さい。

この写真は旧日本軍がミャンマーに進出するためにチェンマイからメーホンソーンへ通 ...

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(西野さんが褒めたたえた内容の続き)
また外交官の2枚舌として以下の通り紹介されています。
「坪上大使の場合もそうである。何回となくシャム政府に対して、不本意ながらも大嘘をつかねばならなかった。

まず最初の ...

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戦前の在タイ日本大使館に勤務していた頃の話です。

西野さんは、尊敬できる大使として坪上貞二(ていじ)大使を挙げています。

このことについては、昭和23年に書かれた「自由シャムの横顔」の中で「誠実な人、坪上大使」 ...

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新年おめでとうございます。今年初回の西野順治郎列伝です。 今年は、今後戦前の日本大使館勤務に続き、終戦、日本への引き上げ、商工省勤務、そしてトーメン入社へと、話が進展して行きます。また、取材協力頂いた皆様にはこの紙面を借用してお礼申し ...

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はじめに

泰麺鉄道については、既に3回連載しましたが著者として心残りの感があるので、さらにカンチャナブリー慰霊碑について書き加えて見ました。

著者と西野さんとの会話の中で、カンチャナブリーの話に及んだ時、「旧日 ...

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花屋さんと西野順治郎さんのこと

戦前のタイを語る時、日本料理店「花屋」を抜きに語れないようです。

この店は、当時唯一の日本食で、日本人の間で情報交換の場になっていたと想像するからです。

もちろん西野 ...

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金子豊治氏と西野さん

西野さんの人生を大きく左右した人物として、金子豊治という人がいます。

既に書いたように、西野さんの奥さん、光枝さんの父に当たります。

わずかな資料しか存在しないので推測も含めて ...

西野順治郎,未分類

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西野さんは1942年(昭和17年8月)25歳の時に光枝さんと結婚しています。
その結婚について、以下想像、推察も含めて紹介しましょう。

× × × × × × × × × × × × × × × × × × ...

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今回はトムヤンティ女史を追悼して柘植隆治さんの訪問記を紹介します。 × × × × × × × × × × × × × × × × × × × ×

2020年9月15日 朝4時30分起床

会社生活から引退してあ ...

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前回に続き泰麺鉄道の話ですが、今回は西野さんの著書より「泰麺鉄道建設の手記」を 紹介します。 × × × × × × × × × × × × × × × × × × × 「太平洋戦争勃発と同時に、日本軍はビルマへの侵攻の補給線確保のた ...

未分類,西野順治郎

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西野さんは、戦前泰麺鉄道(たいめんてつどう)建設工事の視察のため、カンチャナブリーに上司と同行しています。 このことは、同じ出身大学の先輩の滝沢義勝(76歳)さんが、西野さんから聞いた話として私に語ってくれました。 その視察の中で、映 ...

西野順治郎,未分類

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日本の厚生労働省が進める戦没者慰霊事業の一つで海外諸国に放置されたままになっている第二次世界大戦における戦没者の遺体を捜索し、収容して日本へ送還する事業。 日本政府は、昭和35年頃から各地に遺骨収集団を派遣して収集を開始して来ました。 ...

未分類,西野順治郎

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インパール作戦は、1944年3月に始まり7月に中止になっています。 よって、この年から翌年の前半までビルマから撤退が続いたのでしょう。 蛇足ながら、この作戦は無謀な作戦の例として後日語られることになります。 どの位の将兵がクンユアムル ...

未分類,西野順治郎

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初めに西野さんの伝記を執筆していますが、ある時お孫さんに当たる西野輝泰さんから次の通りメールが送られて来ました。

「昔チェンマイにある歴史記念館か博物館のようなところへ、一緒に行った記憶があるのですが、そこに設立者の一人と ...

西野順治郎,未分類

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以下の内容は、チェンマイでの出来事なので「自由シャムの横顔」より引用して紹介します。

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1946年7月私は引き上げ帰国 ...

未分類,西野順治郎

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こんなエピソードもあります。 チェンマイで勤務中のある日未明、警察署長の来訪で起こされました。 その前夜、同地に駐在していた日本の憲兵が同地の名士4名を逮捕し、「日本軍の兵営に連れ込んだのは如何なる理由か」とのことでした。 警察署長と ...

未分類,西野順治郎

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西野さんは、加藤建夫中佐について「人徳があり立派な人格者」として評価しています。

2人が会って、彼は3ヵ月後の1942年5月には38歳で戦死しています。

その後彼は、軍神として崇められ、日本国民の戦意高揚のため ...