西野順治郎列伝 113 第12章- 1 – 19 瀬戸正夫さんと西野順治郎さん


戦後、瀬戸さんはバンブアトン収容所で再び西野さんに遭遇します。
「会った」という表現は適切でなく、「姿を見た」という表現が適切でしょう。西野さんは、タイ政府との窓口担当としてこの収容所を訪れていましたので。
多くの日本人がタイに残留することを希望しましたが、わずかな人数しか許可されませんでした。しかし、瀬戸さんは残留を希望し、幸運にも許可されています。
タイで生まれ育った瀬戸さんが日本に送還されたら、絶望的な人生を送ることになっていたでしょう。
この件について、瀬戸さんは残留を希望して関係当局に働きかけた様子が自身の書籍に記されています。戦前から今日に至るまで、終生タイに留まることができたのは、瀬戸さんが幸運に恵まれたということができるでしょう。
戦後、西野さんは商社マンとしてタイに戻り、その時に瀬戸さんと接触あります。西野さんがタイに赴任したばかりの頃、瀬戸さんは「明日の夕方、船が出発するのでそれまでにインボイスとパッキングリストを作成するように」と西野さんから依頼を受けたのが、戦後初の出会いだったとのこと。
さらに、1971年(昭和46年)には、54歳の西野さんが日本人会長に就任しています。
この時、瀬戸さんは40歳でエネルギッシュに行動をしていました。会長職8年の間、瀬戸さんは後ろについて写真を撮り続けました。西野さんは頻繁に瀬戸さんの顔を見ていたので、瀬戸さんの存在を知らないわけではなく、直接の会話はしなかったかもしれませんが、その存在を認識していたでしょう。
× × × ×
瀬戸さんについては、次の2冊の書籍によって多くの事実を知ることができます。折々、見聞したこと、体験したことを記録し、歴史的に評価される書籍となっています。
まず、1冊目の「瀬戸正雄の人生(上、下)」があります。この書籍は、1992年頃に月刊誌「バンコクの東南アジア通信」で、「瀬戸正雄の人生」で掲載されていましたが、後に日本のかのう書房より「父と日本に捨てられて」のタイトルで出版されています。
しかし、この書籍が絶版となったため、改めて「瀬戸正雄の人生(上、下」」の2冊に分けて、その後の真相が判明した内容なども含めて、手を加えて出版されています。なお、この書籍は2001年7月10日に東京堂書店から発行されています。
内容は、瀬戸さんの生い立ちから始まり、若い頃の生活状態が描かれていると同時に、社会的な問題やその時代の政治にも触れています。多くは、身の回りの出来事を綴られており、当時の生活がどのようであったかわかります。
また、実母を探し求めて旅する様子も描かれています。仕事においては、なかなか定職が決まらず、ようやく住友商事に入社しますが、その仕事に向かず退職しています。
しかし、朝日新聞バンコク支局のカメラマンに就職した時から(当時35歳)、人生は大きく変わっていきます。
(次回号に続く)
2025年4月5日 タイ自由ランド掲載

戦後の激動を生き抜いた一人の日本人の物語
タイで生まれ育ち、戦後もこの地に残ることを選んだ瀬戸正雄さん。その人生を描いた貴重な書籍「瀬戸正雄の人生(上・下)」では、彼の波乱万丈な歩みが綴られています。
商社勤務を経て、カメラマンとしての新たな道を歩み始めた彼の人生は、歴史の一部として今も多くの人に語り継がれています。
知られざる歴史の一ページに触れてみませんか?
」

²: [The New York Times](https://www.nytimes.com/2018/02/03/world/asia/mount-everest-how-tall-nepal.html)
ソース: Bing との会話 2024/1/10
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.