西野順治郎 列伝 86 生前の足跡第11章- 6 田中角栄首相のタイ訪問 (3)
しかしその真相は・・・。
1月9日、タイ政府の国賓として田中首相到着の日に、ドンムアン空港の外に日本語で書かれた「田中帰れ」というプラカードを掲げられているのを筆者も目撃した。
また一行が宿舎エラワンホテルに入る直前、ホテルの前で首相の藁(わら)人形が焼かれた。しかしそれ以後は過激な運動もなく、一行は予定通りの行動を終えて帰国した。
当時のマスコミは、上記のような到着時のニュースを大々的に報道したが、両国関係の喜ぶべき成果についての報告は消極的であった。
しかし、タイ政府は田中首相を歓迎し、この機に長年の懸案であったバンコク日本人学校の設立を正式に認可する旨を、サンヤー首相から田中首相に伝えた。
また田中首相には、最高の白象一等勲章を贈った。
この他、首相令嬢真紀子さんが孤児院を訪ね子供たちに贈り物をする微笑ましい風景もあったのに、これらの記事は現地の新聞には出たが日本の新聞には取り上げられなかった。
特に、日貨排斥運動の中心であった学生運動の希望を容れて、その代表10人ほどと首相は、面会して会談した。
その時、学生代表は冒頭、「友好国の首相に対して礼を失した」と謝罪をした。
そして、藁(わら)人形焼き払いについては、首相に対する個人攻撃であるからやめるよう指示していたが、少数の過激派学生が本部の指示に従わなかったことを詫びた。
またプラカードには日本の過激派学生が持参したもので、タイの学生の行為ではないと弁明した。
このように会談は紳士的に行われたが、主題に関して貿易尻の是正、在タイ日本人の態度の改善などについての厳しい要求があった。
しかし、会談の雰囲気は非常に友好的で、田中首相は学生の話を最後まで誠意を持って聴いていた。
× × × ×
以上、2回に渡り田中首相の訪タイについて西野さんの著述より引用して紹介しました。
さらに、それらの内容に触れていないことがありますので、追加する形で紹介します。
一行はハードなスケジュールの中で、エメラルド寺院を訪問しています。公式の訪問で、この寺院を訪問することは王室への最高の配慮となっています。その事実を示す一枚の写真を見つけることができました。
またこの訪問で、タイ政府から日本人学校が正式に認可を受けましたが、この苦労話を、生前西野さんが著者に話してくれました。
認可には足掛け10年費やした、とのことでこの苦労話は西野さんの口癖でした。
この日本人学校の話は、別途紹介します。
(次回号へ続く)
著者へのメール:kobayashiyu99@gmail.com
2024年2月20日 タイ自由ランド掲載
²: [The New York Times](https://www.nytimes.com/2018/02/03/world/asia/mount-everest-how-tall-nepal.html)
ソース: Bing との会話 2024/1/10
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.