【なつかしい記事】シープラヤー通りにあるタイ最古参の日本料理店「花屋」

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シープラヤー通りにポツンと目立つタイ最古参の日本料理店「花屋」
シープラヤー通りにポツンと目立つタイ最古参の日本料理店「花屋」

 

シーロムのオフィス街をさらに奥に進み、チャルンクルン通りとの交差点の少し手前。閑散としたシープラヤー通りにポツンと目立つ、黄色と赤の看板が目印。通りからは少し奥まったところに入口がありますが、店内は、寿司カウンターに、テーブル席、座敷席と本格的な日本の造りが広がっており、外からは想像がつかない立派な店構えです。

ここは、知る人ぞ知る、タイでは最古参の日本食店「花屋」。今年でなんと創業75年を迎えます。

訪れたのは平日の昼どきでしたが、店内はタイ人客でほぼ満席。若い人から年配の人まで、年齢層は幅広く、グループで食事を楽しむ様子が、すっかり店になじんでおり、まるで日本にいるかのようです。

現在、花屋は、3代目の綿貫賀夫(わたぬき よしお)さん(39歳)を中心に、父で2代目の孝さん、母の康子さん、弟の勝文さん、妹の愛子さんと家族で店を営んでいます。

もともとは、鹿児島出身の母方の祖父が始めたという花屋ですが、当時はこの周辺はタイで一番の繁華街。チャルンクルン通りは、一番最初にできた通りとして「ニューロード」と呼ばれ、また、現在もある中央郵便局や、そのそばに流れるチャオプラヤー川を中心に、当時は、世界中の商社マンや軍関係の人が出入りしていたといいます。

 

2代目の賀夫さんの父は新潟県長岡市出身。日本でも板前をしており、知人の紹介を受けて、ここタイバンコクの花屋にやってきました。

そんな日本人の父母の間に生まれた3代目の賀夫さんは、小さい頃から店を手伝うのが好きで、また、自分が長男ということもあり、日本で板前の修業をした後、タイに戻り、花屋の跡を継いでいます。

現在、花屋の従業員は、すべてタイ人ですが、初代~2代目の時代は、ホールから調理人まで、従業員はほぼ全員が日本人で、着物を着たスタッフが商社などで働く日本人客を迎えていたといいます。

時代は変わり、繁華街はシーロム、スクムビット方面と移り、日本人客の割合は、だんだんと減ってきました。

一方で、日本食ブームを機にタイ人客の割合がどんどん増えてきて、現在では8割がタイ人客といいます。

花屋の跡を継いでからは、今年で15年目という賀夫さんですが、タイ人の日本食への意識が急激に変わり始めたのは、10年程前に、トンローに「オイシ」の日本食ビュッフェが登場した頃だといいます。

シープラヤー通りにポツンと目立つ
シープラヤー通りにポツンと目立つ

 

中華料理のような油っこさがなく、ヘルシーで健康にもよい。
日本料理に対して、そんなプラスのイメージを持つようになり
また、中流層の給料もそこそこに上がり、フジやゼンなどが、ファミリータイプの日本食店として定着してきました。

花屋では、昔からの看板メニューは「寿司」ですが、それ以外は、いたって普通の日本食を提供しており、定食から、丼もの、うどん、そば、刺身、おつまみ類と種類は約300種類ほど。

客も、家族や、友人グループなどが、ファミリータイプの店として、気軽に訪れます。

タイ人向けに特別宣伝をしてきたわけではなく、昔からの常連客が娘・息子、さらには孫まで連れてくるようになり、現在の客層になりました。 常連客は店の周辺やヤワラート界隈に住む、中華系の富裕層が多く、昔からの馴染みの客は、すでに、かなりの高齢者で、車椅子で店を訪れる人も多いそうです。

タイ人客が増えた現在でも、創業当時の味付けは基本的に変えない方針で、鹿児島出身の祖父の、甘めではっきりした味付けが特徴ですが、これが、けっこうタイ人の舌にも合うのではないかと賀夫さんは語ります。

一方、花屋といえば、タイの現地産の食材で作る日本食というのが伝統でした。

マグロ・エビ・カツオなどの刺身から野菜まで、現地産のもので代用してきた歴史があり、船便しかない時代は、3か月に一度、味噌・醤油・日本酒のみ、日本から届いたものを使用してきたそうです。 輸出入が簡単にできる時代になってからは、鮎、カツオ、鯛といった日本産の季節物を扱えるようになりましたが、タイ人客の舌もどんどん肥えてきて、最近で一番変化があったのは、1年半前。創業当時から、ジャスミンライスで代用してきた寿司飯を、日本米に変えたときでした。

タイ米を使った寿司は、花屋の歴史でもあり、「これが花屋」というイメージが強かったため、変えるのにとても葛藤があったと語ります。

しかし、結果は好評で、現在は定食類もすべて日本米に変えました。

現在、バンコクでは、あちこちで日本食店の激戦区。日本人客・タイ人客、どちらの集客に重きを置くか、また、どんな風にオリジナリティを出していくか、とどの店も奮闘していますが、そんななかで、75年間、場所も変わらず、営業し続けてこれたのは、「安い、うまい、毎日食べても飽きない」をテーマに素朴で、定番の日本食を出してきたからではないかと語ります。また、大家さんが親切な人なのも、長い間、場所を変えずにやってこれた理由といいます。

タイ人がビザなしで日本へ行けるようになってからは、平日の夜に訪れるタイ人ビジネスマンが、日本の地名や駅名を話題に話していて、まるで、日本の居酒屋で見る光景のようだそうです。

賀夫さんは、タイ人との奥さんとの間に3歳と6歳の娘さんがおり、「タイでは女性の料理人も活躍していますしね。将来のことは、まだ分からないですけど」といいます。

ここ最近では、新メニューの考案や、フェイスブックで店情報を更新したりと、柔軟に新しいことも取り入れており、今後も、花屋の昔からの軸は変えずに、上手くバランスを取りながらやっていきたいと語りました。

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