570柱が眠る日本人納骨堂、昨年は2柱安置
中華街の先、サパン・プットや花市場近くのトリペット通りにあるワット・リヤップ(正式名ラーチャブラナ寺)の境内には、タイで亡くなった日本人の霊が安置されている日本人納骨堂がある。
実際に行ってみると、思ったよりこじんまりとしていて、きらびやかな寺院の奥のほうにひっそり佇んでいる感じがした。形が金閣寺っぽいと思ったら、本当に金閣寺をイメージして建てられたとのこと。
日本人納骨堂は、タイ国日本人会タイ国日本人会が管理しており、日本人の堂守が常駐している。現在の堂守は水木無我さん(24歳)。バンコクに来て1年半。堂守の任期は3年なので、ちょうど半分が過ぎたところだ。
水木さんの家は、富山県の富山寺(ふせんじ)という真言宗のお寺で、加行(けぎょう)という修行中に寺で見た「バンコク日本人納骨堂の堂守募集」の張り紙に応募したそうだ。加行中は外界との連絡は禁止されていたため、後で知った両親は大変驚いたそうだが、当時22歳だった水木さんは、もっと広い世界を知りたいと海外に興味を持っていたという。
来タイしワット・リアップでタイの僧侶として出家した水木さんは、普段は他の僧侶と同じ生活をしている。毎朝、托鉢に行き食事などをもらうが、実は最初はパクチーが苦手でしたと苦笑した。
会った日は、日本から戻られた直後で、真冬の日本へオレンジの袈裟とサンダル履きで行ってきたそうだ。「寒かったけど、受ける視線は熱かったですよ」とユーモアたっぷりに話す。
現在570柱の御霊が日本人納骨堂に安置されており、春と秋のお彼岸には法要が行われ、毎回30名ほどが参列している。次は3月17日の春季法要となる。昨年は、2名が安置された。
安置されている人の名前は過去帳でわかるが、公開はしていない。知り合いが安置されていたらお参りしたいという人もいるだろうが、知りたい場合は、日本人会もしくは堂守に連絡をしてほしいとのこと。過去帳には明治時代にタイで亡くなられた日本人の名前もあるという。
納骨堂に入れるのは、日本人会に入っており、弔う人がタイにいることが条件で宗派は問わない。ワット・リアップに火葬場はないので、他の場所で火葬し骨壷をここに安置することになる。
納骨堂に入る費用は、寄付として日本人会へ収める。葬式で堂守に読経してもらうこともできるが、この場合は堂守にお布施する。
骨壺は本堂と地下室の納骨壇に安置されている。永久に安置されるというので、場所がいっぱいになってしまわないかと心配になったが、今のところ問題はないとのこと。
もしそこがいっぱいになったらと聞くと、安置され数十年以上経っていてお参りに来る人がいない骨壺は、大きな骨壺に一緒に入れて供養することになるという。その大きな骨壺も地下室にあった。
日本人納骨堂は1935年に建立され昨年80周年の法要が行われた。戦時中の空襲で周りの寺院は焼けてしまったが、納骨堂は無事だったそうだ。
また終戦後は元陸軍大佐の辻正信が納骨堂の地下に潜伏していたという。そういったエピソードを聞いた観光客がたまに来るというが、お参りに来るのはシーズンにもよるが、週に2、3組ほどだそうだ。
堂守の水木さんは、もっと多くの日本人に、納骨堂の存在を知ってもらいたいので、見学や話を聞きに来るのは歓迎で、事前に連絡してくれれば確実だが、納骨堂の扉が閉まっていても裏の僧坊に居る時もあるので、ブザーを鳴らして呼んでもらえれば対応できるという。
日本では僧侶というと葬式というイメージが強いですが、タイでは日々の生活と密着していて信仰心も篤い。日本人にも仏教をもっと身近に感じてもらいたい」と話す水木さんは、気軽に仏教に接する場として、今年から写仏会を月に1回、日本人会のサトーン本館で始めた(第4火曜10時~12時)。写仏というのは写経の様なもので、文字の代わりに仏さまの絵をトレースするものだ。「気負いなく仏教に接することで何か感じてもらえれば」という。写経会(スクムビット別館、第2火曜10時から11時)も行われている。
24歳という気さくな若い堂守は、普段仏教に縁のない同世代の人もぜひ訪れて欲しいと話した。
2016年3月5日 タイ自由ランド掲載
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