西野順治郎列伝 106 第12章- 1 – 12 神尾秀雄さんと西野順治郎さん
西野さんは生前、多くの人と交流がありましたが、その中で、同窓の横浜専門学校の貿易学科を卒業した神尾秀雄さんもその一人でした。
今回は、同氏と西野さんについて、少ない資料の中からその親交内容を探っていきたいと思います。
まず、神尾さんの紹介をします。彼は1920年(大正9年)に生まれ、西野さんは1917年6月に生まれたので、3歳差の関係です。卒業時、ちょうど太平洋戦争が始まる時期でしたが、その後の経歴については詳細が不明です。
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西野さんが神尾さんと出会ったのは1957年(昭和32年)の年初で、その半年後の6月15日に、トヨタ自動販売のバンコク支店オープンセレモニーがあり、西野さんも招かれています。
当時、神尾さんは39歳、西野さんは42歳でした。西野さんはある時、周囲に「トヨタの初代駐在員として駐在した神尾君がいるんだ。社内では相当仕事ができる人のようだ」と語っていました。
バンコク支店がオープンする理由は、それまで現地企業との代理店契約で販売していたが販売実績が振るわなかったため、直接販売する方針に転換したためです。
そこで現地責任者に選ばれたのが神尾さんでした。しかし、わずか2年間の勤務の後に本社に戻りました。本社は彼を長く駐在させない方針でした。
本社へ戻った後、大市場のアメリカ担当に就任しています。
神尾さんが頭角を現し、社内で揺るぎない地位を得たのは1981年のことで、トヨタの会社とGM米国の提携交渉を成立させ、当時のトヨタ英二社長に認められ、後に「英二社長の懐刀」と言われるほどの存在になりました。
1983年には63歳で本社副社長となり、3年後に相談役に就任しています。
社長を経ないで副社長から相談役になった役員は、このケースだけで、異例の扱いを受けました。 その後、相談役の立場で対外的に「トヨタの顔」として公職に付いています。
最終的には、「千代田火災海上保険」現在の「あいおいニッセイ同和損保」の会長に就任しています。
話はそれますが、メーカーは技術を優先する傾向があるので、文系出身者は傍流の扱いを受けることがあります。神尾さんは貿易学科を卒業したばかりであり、若い頃から貿易に対する知識や語学を活かし、定年まで海外担当部門で活躍しました。
x x x 1992年頃、著者は神奈川大学のバンコク同窓会支部の幹事をしており、西野さんから「来月神尾さんがタイに来るので歓迎会を行うので、本人とアポをとってほしい」と依頼されました。
そこで著者はトヨタ本社の役員室に電話をかけ、秘書の方と神尾さんの来タイスケジュールを確認しました。その後、西野さん宅で歓迎晩餐会を行い、10余名のメンバーと共に歓談しました。
その時、西野さんは控えめに神尾さんを紹介し、神尾さんも同様に控えめに振る舞っていました。実るほど頭が垂れる稲穂かな、という所でしょうか。2008年には88歳で天寿を全うしました。
(次回号に続く)
2024年12月20日 タイ自由ランド掲載
²: [The New York Times](https://www.nytimes.com/2018/02/03/world/asia/mount-everest-how-tall-nepal.html)
ソース: Bing との会話 2024/1/10
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.