第3章-24 番外編 西野順治郎 列伝 40 ゲイソントラベルの加藤郁郎氏と西野さん

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在りし日の加藤郁郎氏と著者
在りし日の加藤郁郎氏と著者

初めに

加藤郁郎氏は、昨年の8月に肺炎で昇天しています。そのことを知ったのは最近なので、急遽追悼の意味も含めて、加藤郁郎氏と西野順治郎氏について紹介します。

それは著者が来タイした頃の話で、ゲイソントラベルの加藤郁郎氏が、西野さん、アマリングループの松田嘉久氏、サリカグループ、の出会いの話です。

加藤郁郎氏の紹介から始めましょう。

1980年、22歳の時に来タイしました。

以来ゲイソントラベルに15年間在職し、駐在員に対してエアチケットの販売業務を続けて来ました。

なお、1982年8月にそれまで入居していたアマリンホテルが閉鎖になったので、ゲイソントラベルは新しいオフイスを探して、ドゥシタニビルの10階に移っています。

西野氏と加藤氏の関わり

西野氏が松田氏の意向でゲイソントラベルの社外取締役に就任したのは1975年頃で、西野氏が日本人会長、松田氏が日本人会理事、且つ両者共に日本人商工会議所理事という関係で、毎月理事会で顔を合わせる仲でした。

これはゲイソントラベルが松田商会グループの傘下だったので、松田さんが西野さんに取締役就任をお願いしたのでしょう。取締役の西野氏は、その会社でエアチケット担当していた加藤氏と出会いがあり、僅かの期間上司、部下の関係でした。

 

ゲイソントラベルのその後

1985年からゲイソントラベルはサリカグループの傘下で順調に業績を伸ばしてきました。

しかし、1982年8月のアマリンホテル閉鎖後、松田さんは凋落の一途をたどり、取引銀行の スタンダードチャータード銀行 からの融資が打ち切られた時、松田さんが泣きついたのはサリカグループ(鹿沼カントリー倶楽部)でした。

そこで、1985年にサリカグループはゲイソントラベルを買収。

大幅増資して社員数を増やし、事業を拡大させました。

加藤さんはこの頃「この1980年代後半から1990年代初頭の頃」仕事が面白くて仕方がなかった、と述べています。

しかし、1990年代に入ってのバブルの崩壊でサリカグループの資金繰りが苦しくなり、ゲイソントラベル自体の業績は悪くなかったのですが、赤字続きのコーヒー事業に足を引っ張られて金欠に陥りました。

さらに、不幸な事にサリカグループ社長の不審死をきっかけにグループは解体。ゲイソントラベルは、Kラインに吸収合併される形で消滅しました。グループが所有していたナコンナヨックの農園とナワナコンの工場はクルンタイ銀行に接収されました。

日本人が多く利用していたサリカカフェも身売りとなりました。

そこで、加藤さんはサリカグループに見切りをつけて1996年に独立して、ナワナコンで超零細規模の旅行社を始めていました。

よって、加藤氏は幸運にもサリカグループの断末魔に遭遇しませんでした。
最後に本人の冥福をお祈りいたします。(合掌)

(次回号へ続く)

著者紹介: 小林 豊  2022年3月20日 タイ自由ランド掲載

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