西野順治郎 列伝85 生前の足跡第11章-5 田中角栄首相のタイ訪問(2)
相手の立場を充分理解して接すれば先方もこちらを理解するようになるものである。
田中首相タイ訪問と前後して、タイ字新聞に呼応するかのように日本国内のマスコミもタイにおける反日運動を連日大々的に取り扱った。
このため進出企業をはじめ、各方面の関係者たちはあらゆる機会をとらえて悪化した両国の関係を是正すべく最大の努力を払うようになった。
貿易関係においてはタイから第一次産品を出来る限り多く買付けるよう努力した。またタイ人社員の登用問題についても一層の改善が見られるようになり、一方タイ側では再び軍事政権へ移行するにつれて排日運動もしだいに下火になっていった。
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ここで、1974年に田中首相が訪タイした際の西野さんの様子を紹介しましょう。
田中首相が訪タイした1974年、西野さんは57歳の時で、タイトーメンの社長を務めていました。
その4年後には、西野さんは日タイ四百年史を書いており、前回ご紹介した内容がそれに当たります。
さらに、西野さんは11年後の1979年、79歳の時に著書「タイの大地と共に」の中で「田中首相の訪タイ」について再び書き留めています。
内容が重複するかもしれませんが、貴重な内容ですので、省略せずに紹介しますので、お付き合い願います。
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「田中総理訪タイ」
「タイでは立憲君主制とはいえ、長年にわたり軍部が政治の中心になっていたが、1973年10月の、学生を中心とする大衆運動により民主主義が回復された。
この頃日系企業の進出が急増しており、日本との貿易は輸入超過が増える一方であったので、政治的に発言力を強めた学生は、次のターゲットを排日運動に向けるようになった。
この運動は軍事政権攻撃と共に1972年末頃から芽生えていたが、軍事政権の崩壊でそのピークに達した。ちょうどその時、すなわち1974年1月に日本から田中角栄首相が訪タイした。
あいにく、排日運動の真っ最中であったので、「飛んで火に入る夏の虫」ということでマスコミが大々的に報じた。
タイに在留するタイ通を自認する邦人の中でも、今なお「田中首相訪タイ時の排日運動」と言い触らし、田中首相は追い立てられ逃げて帰ったような印象を持つ人や、または記事にまで書いた人もいる。
(次回号へ続く)
2024年1月20日 タイ自由ランド掲載
²: [The New York Times](https://www.nytimes.com/2018/02/03/world/asia/mount-everest-how-tall-nepal.html)
ソース: Bing との会話 2024/1/10
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.