第3章-10 チェンマイ チェンマイと旧日本軍 西野順治郎列伝㉕
旧日本軍のチェンマイ、クンユアム駐留
開戦後、日泰攻守同盟により日本軍がチェンマイに駐屯して来ました。 日本軍が駐屯した主な目的は、ビルマの侵攻に備えて道路の整備を行うことでした。道路建設
チェンマイを起点として、メーホンソーへの北回りルートでクンユアム行きと、チェンマイから西に進みクンユアム行くルートの二本のルート建設を進めました。 さらに、クンユアムから国境を超えてビルマへの進出ルート作りを進めた、と書かれています。 しかし、この道路が日本軍退却の「白骨道路」になったのです、 幸運にも、侵攻のための道路整備が撤退のルートに役立ちました。地元の協力と生活
日本軍は、メーホーソン県知事に対して食料の提供や建設作業員の提供を要請しました。 なお、この工事は日本軍が当時のピブン首相に協力を依頼し、同首相はチェンマイ、メーホーンソンの両知事に便宜を図るよう指示し、それによって末端の郡役所、村役所に指示が届いて、現地タイ人の協力が得られました。 具体的には、北部タイの各県から作業員が動員され、賃金が支払われました。 駐留部隊の生活ですが、現地の家に分散して住み、家族同様の生活をしていました。 当時の日本との連絡方法は飛行機による定期便がありました。 クンユアムにある「日タイ友好記念館」(注:この記念館の説明は後ほど)の南側に1キロメートル程度の滑走路跡地があり、軍隊が物資輸送や通信手段として利用していました。(次回へ続く)
2021年8月5日 タイ自由ランド掲載