西野順治郎列伝 123 第12章- 10 – 1 石平厚一郎さんと西野順治郎氏



初めに
今回取り上げる石平さんと西野さんは、ともに日本人会活動に大いに貢献した人物です。両者にはいくつかの共通点が見られます。
① 長期間にわたり日本人会活動に従事。
石平さんは通算22年間理事を務め、そのうち3年間は会長を歴任しました。一方、西野さんは通算21年間理事を務め、そのうち8年間会長を務めました。
②彼らは現地法人のトップとして会社を運営しながら、実務は部下に任せ、もっぱら社会貢献に尽力しました。
具体的には、日本人会やロータリークラブの活動が挙げられます。
③ 二人は現地法人のトップに立った後は、一度も本社に戻ることなく、定年までタイに駐在していました。
以上の共通点を踏まえ、二人がどのように日本人会活動に貢献し、他者と交流してきたのかを記していきます。
その一方で、近親憎悪とも言える確執があったことも事実です。その点についても具体的に触れていきます。
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石平厚一郎さんの略歴と、当時の様子から始めましょう。
1927年(昭和2年)3月14日生まれで西野さんより10歳年下です。
終戦時は18歳で、海軍の予備士官でした。もし戦争が長引いていたら、特攻隊として命を落としていたかもしれません。
この死を覚悟した経験から、人一倍「生きること」や社会貢献に情熱を注ぐようになりました。
1966年、39歳のときに博報堂の駐在員としてタイに赴任しています。
当時、タイでは前年から第一次投資ブームが始まり、繊維や自動車関係などの多くのメーカーが進出していました。
そのブームに乗じて売り上げ増加させ、実績をあげています。広告代理店は、当時電通ぐらいしか存在せず、競争の少ない有利な状況でした。
1980年、53歳の時に、日本人会理事に就任。
1999年6月8日、72歳の時、理事会で互選により会長に選出されています
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1980年(昭和55年)石平さんは、53歳で日本人会理事に就任した際、西野さんはすでに1年前に会長職を退任し、副会長職に留まっています。
裏話をすると、石平さんは3年前に理事に就任しましたが西野会長とそりが合わず、わずか1年間で辞任しています。
石平さんが西野さんの理事会運営に、不満を抱いていたと考えられます。
その後、理事19年目の1999年に石平さんは72歳で会長に就任しています。
3年間の会長を務めた後、さらに1年の任期延長を希望していたようですが、日本人会規則によりその願いは叶(かな)いませんでした。
結局、石平さんは日本人会理事を通算22年間勤め、うち19年間は文化部長、残りの3年間は会長職を担当しました。
なお、石平会長が3年目の任期を迎えた2001年に、西野さんは、お亡くなりになっています。
(次回号に続く
2025年9月20日 タイ自由ランド掲載

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「そごうバンコク店の歴史がこんなに深いとは!西野さんの控えめな人柄と人脈の力で、日本のデパート文化がタイに根付いたんですね。読んでいて胸が温かくなりました。」


















