西野順治郎列伝 143 第13章- 17 タマサート大学日本研究センター2

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日本語、中国語、韓国語からなる「東アジア研究センター」:著者撮影
日本語、中国語、韓国語からなる「東アジア研究センター」:著者撮影

同センターの完成後

完成後、JICAは延べ20名の日本人研究者を5年間にわたり派遣し、運営を支援しました。

特に、日本関連の書籍が多数寄贈されましたが、日本語の書籍の整理・分類ができる司書がタイには不足していました。そのため、日本の国立国会図書館から専門の司書が派遣され、大量の日本語研究書の整備が行われたという経緯があります。

センターの運営にあたっては、タマサート大学東アジアセンター理事会が設置され、日本政府とタイ政府の連絡窓口の役割を担いました。

しかし、西野さんは就任4年目にして、任期1年を残して退任しています。

これは翌年、トーメン社の会長職や JCCの役員などの公職から退任するための準備として、1年早めて退任しています。

ポストに固執せず、潔く身を引いた西野さんの姿勢がうかがえます。

 

名称をめぐる問題

冒頭で触れた「日本研究センター」と「東アジア研究センター」という名称の違いについて、日本側はあくまでも「タマサート大学日本研究センター」として計画・設計・施工しています。

一方、タイ側は当初から「タマサート大学東アジアセンター」と命名しています。

タマサート大学は、日本だけでなく、中国や韓国の研究も視野に入れており、そのために「東アジア」という名称を採用したものと思われます。

この事実を裏付けるように、タマサート大学と交流のある福井大学の竹本拓治教授は「当初タイでも、『タマサート大学日本研究センター』と呼ばれていましたが、

その後、中国や韓国を含む研究を行うことになり、

『タマサート大学東アジア研究センター』に改称された」と語っています。

現地視察の印象

実際に現地に足を運んで見しましたが、非常に大規模な教育施設であることが確認できました。

 

最後に、タマサート大学東アジア研究センターの概要を紹介します。

場所は、ドンムーアン空港から北へ約15キロ地点の左側。2階建て、延べ約5000平方メートル、合計7教室延べ600平方メートル

宿舎合計40室1000平方メートル、その他庭園付き茶室も併設されています。

JICA(国際協力機構)の設立計画書によると、 この研究センターは、 日本の建築家やエンジニア

による設計と監督の下、施工されました。具体的には、建物は黒川紀章都市建築設計事務所、茶室は箱根植木(株)の設計です。

建物は、現代の技術と平安時代より引き継がれた技術を組み合わせ、日本風に仕上げられています。

具体的には、上層住宅の建築様式である寝殿造りと、伽藍(がらん)配置と呼ばれる日本の寺院建築を融合させたもので、敷地内には池も造られています。

内装も日本風で、茶道の実演も行われており、茶室には、福田元総理大臣が「悠々停」と命名しました。

このセンターが、日本によるタイ研究への真剣な姿勢をしめす「博物館」のように見えるのは、著者だけでしょうか。

   (次回号に続く)

 2026年7月20日 タイ自由ランド掲載

著者紹介: 小林 豊
1948年北海道生まれ、自称フリー作家、在タイ38年、神奈川大学卒業、小林株式会社創業者、西野順治郎氏と長年交流。
著者へのメール:kobayashiyu99@gmail.com
ペルプ 西野順治郎

 

ペルプ タイの日本人会

 

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