西野順治郎列伝 101 第12章- 1 – 7 小野雅司さんと西野順治郎さん
西野さんの列伝を書いていますが、日本人会活動においてどうしても外せない重要な人物がいます。
それは元日本人会長の小野雅司さんです。
1938年9月生まれ(86歳)の小野さんは、日本人会理事を連続27年間務めたという記録を持っています。(注:75歳定年制の為、75歳まで理事)
西野さんの理事期間20年間をはるかに超えるこの記録は、日本人会理事の中でも最長になります。
日本人会の役員名簿を確認すると、1987年に小野さんと西野さんの名前が理事として記載されています。
しかし、西野さんは翌年理事を退任しています。
小野さんに、西野さんの存在をいつ認識したのか尋ねましたが、具体的な答えは得られませんでした。
しかし、西野さんの存在を以前から知っており、常に意識していたことでしょう。
何しろ、現地組の小企業の社長の立場と、駐在員としての大手商社の社長という立場から、互いに特別の意識を持っていたことでしょう。
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今回は、小野さんにお願いして、当時の日本人会理事としての経験や、西野さんの理事活動について話を伺いました。
小野さんの紹介に際し略歴を尋ねましたが、24歳の時にタイに来たこと以外は多くを語ってくれませんでした。
著者は、タイ移住後に中華街のサンペンで反物の卸売業を営んでいた小野さんの店を訪問しています。
西野さんとの接点ですが、西野さんはが日本人会理事を辞任する1年前に、小野さんは日本会理事に就任し、その間共に理事として活動しています。
それは1987年のことで、小野さんが49歳の時でした。
以来、小野さんは日本人会理事を75歳までの27年間務めることになります。
また、小野さんは会長に就任する前の10年間、事業部長として「四大事業」を担当しており、2002年から2009年までの8年間は会長を務めました。
長期にわたる会長就任は、「なり手が不在」という理由からだそうです。
ちなみに、その後、日本人の会長は、西野さんを最も尊敬していた大橋寅治郎氏(元タイ日野セールス社長)に引き継がれます。
この取材で興味深い事実も語ってくれました。インターネットの普及により、社長であっても本社に報告する業務が増え、時間的余裕がなくなったことで、日本人会活動から距離を置くようになったというのです。
これにより、会長のなり手が見つかりにくくなっているとのことです。
西野会長の日本人会活動について取材が目的でしたが、収穫が少ない結果に終わりそうでした。
しかし、以外にも以下の話をしてくれました。
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日本人学校について
1960年、大使館と共に日本人学校もワイヤレス通りに移転してきました。
しかし1986年に大使館がニューペブリの角に移転してからは、状況が変りました。
これまでは大使館内に日本人学校があり、タイ政府から問題視されることはありませんでした。
(次回号へ続く)
2024年10月5日 タイ自由ランド掲載
²: [The New York Times](https://www.nytimes.com/2018/02/03/world/asia/mount-everest-how-tall-nepal.html)
ソース: Bing との会話 2024/1/10
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.