第6章-4 商工省時代 西野順治郎 列伝 63 振り返りと今後の活躍
初めに
タイから帰還した西野さんは、外務省に復職したものの1年後外務省から商工省(現在の経済産業省)に出向を命じられています。
それは、「片道切符」で、外務省は当時定員オーバーだったからです。
そして、商工省での勤務の後、東洋棉花(トーメン)という商社に入社し、1年後に再びタイに戻るという道を歩いています。
これらの時期について、事実と想像で当時の様子を振り返って見ましょう。
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役所生活について
大使館勤務と異なり、本省での勤務は待機時間が多く、そして遅く帰宅することが多く西野さんは不満でした。
仕事の内容は、外務省では事務次官室の秘書官でしたが、既に書述した通り1年後に商工省の調査局市場調査課に出向させられています。
外務省の定員が約8,500人から約1,500人に減らす方針が出されていたので、当然の成り行きでしょう。
なお、当時商工省は戦後復興の為、多くの人材を必要としていました。
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商社への転職の動機について、役所生活は単調すぎて、西野さんはそのような勤務を不満を思っていました。
それと共に、タイでの生活の思い入れがあり、再びその地で働きたいと思っていました。
また、当時戦後の復興と共に海外進出の機運が高まりつつありました。
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東洋棉花の入社理由
戦前のタイの勤務で、東洋棉花の社員と懇意にしていた事があり、また、三井、三菱などの大商社では、中途採用は冷遇されるという恐れを感じていたからでしょう。
この商社に入社して、1年後に再びタイに戻っており、西野さんにとっては人生に於いて、最大のターニングポイントになりました
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余談を少し
それは、著者がタイに住むようになってからの話です。タイに長く住んでいるある人が、「西野さんは外務省を追われ、日本で生活することができなくなったので、タイに戻って来た」と陰口を叩(たた)いていました。 事実を知らない人が、作り話をもって人を悪くいう事ってよくある話ですね。そうそう、口の悪い人は性格も悪いですよね。
最後に
以上の通り、戦後の様子をリビューしました。
今後の連載は、タイに赴任してから駐在員として八面六臂のごとく活躍することになります。なお、赴任の時バリバリの35歳でした。
今後、ご期待下さい。
(次回号へ続く)
2023年3月5日 タイ自由ランド掲載