西野順治郎列伝 121 第12章- 8 アユタヤ日本人村と西野順治郎氏 3



中でも東京新聞系各紙(中日、西日本、北海道、琉球新聞など)はこの遺跡改修計画を大々的に取扱ってくれました。
その結果、未知の方からも電話や手紙で激励を受けましたが、中には友人仲間から帰国しているのに挨拶がないというお叱りを受けたこともありました。
しかし、この中で一つ大きな収穫がありました。それは私にインタビューしたマスコミのA記者がアユタヤ旧日本人町よりの発掘品を追って奔走してくれた結果、その一部について所在がわかった事です。
アユタヤの発掘品というのは1933年4月、当時旧制東京府立高等学校(現都立大学の前身)の東洋史の教授であった東納寛惇氏が日本政府の援助で来タイされ、日本公使館や日本人会の協力を得てこの遺跡を発掘した時に出てきた品物のことです。
発掘したのは元日本人町遺跡全域の4分の1ですが位ですが、そこから仏像、武具類の破片、観音像、陶器など200点程度発見されたのです。
この発掘は現在の文部省芸術局と国立博物館の前身であるRoyal Institute of Litterature, Archeology and Fine Artsの総裁であったPrince Bidyalankaranaの許可を得て行われ、通常発掘品は国立博物館の管理下に置かれるのであるが、時の矢田部公使のご尽力により更に研究継続のため日本に持ち帰ることを認められたものです。
従って東恩納教授は上野の国立博物館に保存してもらうということで日本へ持ち帰られたといわれております。
その後この事実を知った泰日協会では日本の国立博物館に連絡してその行方を追っていたのですが、一向に要領を得ることができませんでした。
ところがA記者の努力によってそれが近年まで都立大学附属高校に保管されていることが判明しました。
しかし、東恩納教授は1968年83歳で物故されて以来、これらの発掘品はその由緒を知る人はいないままに歴史的教室から離れて同校の美術研究室に保管というより転がっている形で残っていたようです。
そして数年前、同校校舎改築時に何処かへ散らばって消えてしまい、A記者は同校を訪問した時には何も残っていないということでした。
ところがそれから3日目、元都立大学に勤めていたという奈良大学のS教授から「新聞記事で知ったが、その物品なら自分は石仏の頭一個所有しているから返還する」といって都立大学へ即時返送されて来ました。
他にもう一点同じように返却されてきたとの知らせを受けたので去る12月10日、私はA記者と共に同大学を訪問して実物を確認することが出来ました。
そしてA記者は篤志家(とくしか)のことも重ねて新聞に発表して更にこれらの発掘品を保管している人に返還を訴えたいと言ってくれているので、近い将来にはもっと多くの発掘品が帰ってくることを期待しております。
そしてこれらの発掘品は、何日かの日か当地へ返送されてアユタヤに出来る資料館に収められることをこの新春の夢としているものであります。
(次回号に続く
2025年8月5日 タイ自由ランド掲載

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📜✨アユタヤ旧日本人町の発掘品にまつわる、知られざる歴史と心温まる物語…。長年忘れ去られていた遺物が、思わぬ縁で再び光を浴びようとしている。
人と人のつながり、そして歴史を守ろうとする熱意に胸が熱くなります。
次回の展開が楽しみです🙏(次回号に続く) #アユタヤ #歴史の記憶 #文化遺産 #日本とタイの絆 #発掘品の帰還


















