西野順治郎列伝 92 第11章- 12 外国人職業規制法
初めに、ビザとワークパーミットについて少し説明しましょう。
日本では外国人に対してビザの取得を義務付けられていますが、ワークパーミットの取得に関する制度は存在していません。
しかし、タイではビザとワークパーミットが、ほぼリンクしており、共に課されています。
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タイでは、1972年12月10日付で外国人職業規制法が成立し、ワークパーミットの導入が開始されました。
それでは、この法律が存在しなかった頃の状況を振り返りましょう。
当時、日本人を含む外国人は、タイに来てビザを取得してワークパーミットなしで仕事をしていました。
この法律が導入される前までは、日本人観光ガイドがタイに観光客を案内するなどの仕事を行っていました。
これにより、タイ人のガイドは、その仕事を奪われる状況になっていました。
このような背景から、タイ政府はタイ人の雇用を保護するため外国人に対して職業規制を導入するに至ったのです。
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西野さんの対応
法律の施行に伴い、他社に先駆けてバンコク支店は現地法人化して、株式会社タイトーメンに衣替えしました。
具体的には、1970年に支店長に就任した西野さんは、2年後にそれまでのバンコク支店長から株式会社タイトーメン取締役社長に就任しています。この変更は、部下に命じて法律の施行に即座に対応させました。
法律施行以前の状況を少し説明します。
1972年までは、支店が認められており、駐在員の数に制限がなく、またその給料に対して所得税を課されることもありませんでした。
政府は外国人職業規制法に基づき、支店を現地法人化するよう指導しました。
また、西野さんはトーメン社を他社に先駆けて現地法人化しましたが、同業者の中には既得権として支店を維持し、現地法人の2つの形態でビジネスを行っていた企業が存在していました。
これは、既得権を確保する事による利益があったためです。
かっては、ワークパーミットの取得条件として、7人のタイ人雇用に対して1名の日本人枠でした。
それが、その後4名に緩和されましたが、それでも業種によっては依然として負担があるようです。
現在は、更に緩和されているようです。
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1980年代に入り、支店が消え現地法人化が進みました。
遡ること、1953年西野さんがバンコクに駐在してから1年後、他社に先駆けて駐在員事務所から支店を申請し、認可を受けています。
当時の役所は、法律が現状に追い付いていかず、担当者も不慣れだったので、現場ではトーメンの社員が担当者に実情を説明した事でしょう。
西野さんは、「タイで仕事をしている以上、その国の法律に従わなければならない」という考えを持っていたので、新しい法律に即座に対応するようスタッフに指示しました。
(お断り:支店と現地法人の違いについては省略します)
(次回号へ続く)
2024年6月5日 タイ自由ランド掲載
²: [The New York Times](https://www.nytimes.com/2018/02/03/world/asia/mount-everest-how-tall-nepal.html)
ソース: Bing との会話 2024/1/10
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.