10章-5 生前の足跡第 西野順治郎 列伝80 西野列伝を振り返って、お礼(特別編)
この西野順治郎列伝シリーズも、お陰で第80回に至りました。
前回までの第10章では、国営紡績工場とタイ東レ工場の立ち上げを描きました。
西野さんは、これらのプロジェクトを成功裡に導き、社内で「不動な立場」を築き上げたようです。
振り返って、この列伝は西野さんの生誕から始まり、学生生活、外務省入省、タイ留学、在タイ日本大使館勤務、そして終戦に続いています。
その後、商社「東棉」に入り、五年後再びタイに戻って来て、水を得た魚のように活躍しています。
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そんな順風満帆な活動から一転して、 日本とタイの難しい問題に追われて行く話に移ります。
具体的には、タイ人による反日運動から始まり、田中元首相の来タイをめぐる出来事、さらには日本とタイの貿易不均衡による関係悪化などの問題に直面する事になります。
そのような中で、西野さんがどの様に振る舞ったか注目されます。
同時に、今後の進捗と共に、西野さんと関係した現存している方も登場する場面に移って行きます。
それらの方々の協力で、この列伝が進行できる事に感謝しています。
今後とも、極力事実を中心に話を進めて行きますが、時に著者の想像も加え、分かりやすい、読みやすい内容で書いて行きます。
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さて、この「列伝」を始めて約3年が経ちます。
当初は元気いっぱいで書き続けて来ましたが、この頃に至り気力の衰えを感じて来ています。
しかし、老骨に鞭を打ってでもこの作品を完了したい。
なお、所々に著者の登場場面が出て来ますが、脇道にそれず内容も少なく書ますので、ご容赦を。
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今後、少なくとも5年間連載が続く予定ですが、その時は80歳になります。
繰り返しますが、少しずつ体力に限界を感じて来ていますが、完結めざしてがんばる決意です。
幸いにも西野さんは、後世の人に歴史として受け継がれるように、多くの書物を残しています。
そして、この列伝によって西野さんの意向が、少しでも反映できれば、と微かな期待を抱いて書いています。
最後に、読者に対してお礼を申し上げると共に、掲載していただいているフリーコピー誌「タイ自由ランド」に謝辞を表します。
(注:過去のバックナンバーは「タイ自由ランド、西野」の検索キーでご覧になれます。
(次回号へ続く)
2023年11月20日 タイ自由ランド掲載
西野順治郎さんは、日本の外交官、実業家、教育者であり、初代在泰日協会学校理事長、元タイ・トーメン社長・会長でした¹。1917年8月9日に生まれ、2001年3月5日に亡くなられました¹。以上の情報はWikipediaに掲載されている情報です¹。
¹: [Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E)
ソース: Bing との会話 2023/6/27
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(4) 日タイの親善に尽くした功労者、西野順治郎列伝 ① | タイ バンコク タイ自由ランド. https://jiyuland5.com/%e8%a5%bf%e9%87%8e%e9%a0%86%e6%b2%bb%e9%83%8e%e3%80%80%e5%88%97%e4%bc%9d-%e2%91%a0/.