第10章-3 タイ東レ 西野順治郎 列伝78回 森 廣三郎社長の活躍
日タイの貿易関係は年々増加しており、最近では日本からタイへの輸出額が年1億5千万ドルに達しています。
一方、輸入は1億ドルで、このアンバランス是正に努力を払っております。
また、東棉では当バンコク支店はその規模から見れば紐育(注:ニューヨーク)に次ぐ第二の海外支店で、現在邦人社員だけでも30名を超え、それでも人手不足の状況です。
(東棉バンコク支店次長 タイ東レ取締役総務部長)
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森 廣三郎社長の活躍
ここで、タイ進出の英断を下した当時の森 社長について触れましょう。同氏の存在なくして、今のタイ東レという会社が存在しない、と断言できるでしょう。
瀬戸正夫氏の「バングブアトンの思い出について」の記述から、三井物産バンコク支店長の森廣三郎氏について触れた内容を以紹介します。
「やがてキャンプの村興し、自治運営が始まり第一、第二、第三キャンプの村の総合代表者が三井物産の森支店長に決定して、各班村長、委員も決まり、各班の部屋から男を使役として出すことになった…」
この記述によると、森支店長と西野さんはこのキャンプ内で間違いなく直接会っているでしょう。
西野さんは、大使館の代表として頻繁にこのキャンプを訪れていましたから。
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そうそう、 森社長を調べていたら新しい事実がわかりました。
東レの本社で6年間取締役社長職を務めていましたが、1996年定年制が敷かれ60歳で取締役社長を退任しています。
ここで、その筋の人はご存知の事ですが、三井物産と東レの関係について若干記しておきましょう。
大正末に、三井物産は人造繊維と合成繊維の時代が訪れると考え、本社部門から切り離し東レを設立しました。
そして社長が何人も派遣され、東レが成長して国内外取引も三井物産を始め三井グループと密接な関係になり、現在に至っています。
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再度、森社長の話に戻りましょう。
彼は、社長就任の1年前、将来の社長候補として三井物産よりタイ東レの常務取締役として送りこまれています。
つまり、この6年前に森社長は常務取締役から三段飛びで社長に昇進したという事になります。
また、この事実から、終戦の時39歳であった事がわかります。
一方、西野順治郎さんは、終戦の時に27歳だったので、森社長は12歳年上ということになりますね。西野さんは、年上の森社長を尊敬していたという事です。
さらに、既に述べたように森社長は終戦に至る前3年間、三井物産の最後のバンコク支店長として勤務し、タイに駐留した日本軍の物資調達の全てを取り仕切っていました。
(次回号へ続く)
2023年10月20日 タイ自由ランド掲載
西野順治郎さんは、日本の外交官、実業家、教育者であり、初代在泰日協会学校理事長、元タイ・トーメン社長・会長でした¹。1917年8月9日に生まれ、2001年3月5日に亡くなられました¹。以上の情報はWikipediaに掲載されている情報です¹。
¹: [Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E)
ソース: Bing との会話 2023/6/27
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(4) 日タイの親善に尽くした功労者、西野順治郎列伝 ① | タイ バンコク タイ自由ランド. https://jiyuland5.com/%e8%a5%bf%e9%87%8e%e9%a0%86%e6%b2%bb%e9%83%8e%e3%80%80%e5%88%97%e4%bc%9d-%e2%91%a0/.