西野順治郎列伝 129 第13章 – 2 日・タイ四百年史 2

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執筆が可能だった裏状況

執筆が可能だった環境、条件について考えてみましょう。

まず一つは、その分野に基本的知識があり、かつ関心があったことです。

もちろん、「書く」という素質も必要ですが・・・。

次に、比較的自由な時間があったことも要因でしょう。

西野さんは、幸運にもこれらの条件を備えていました。

その結果、歴史に残るような偉大な本を生み出すことができたのです。

ここからは、さらに具体的に見ていきます。

戦前、チェンマイおよびバンコクで日本大使館員として勤務していた西野さんは、タイ政府とのやり取りの中で、常に過去の経緯を学び知る必要がありました。

今でも、大使館員たる者、その国に赴任すると、まずその国の歴史を知ることが「基本中の基本」となっています。

西野さんは努力家で、疑問点があればとことん調べる性格でした。

また、彼に備わった素質や素養も、執筆活動に大きく影響していたことでしょう。

「書く」という行為は、誰でもできるわけではありません。

最後に、書く環境と、それに従事する時間があることが重要となります。

西野さんは、社長室および会長室という専用のスペースを持ち、比較的自由な時間もありました。

社長時代、日常業務はほぼルーティン化されており、会議で長時間議論を交わす必要もほとんどありませんでした。

商社に関わる業務は、各部門が日本のその同部門の指揮を受け、社長に稟議する必要もなく、業務を遂行し、必要に応じて社長と相談や報告を行う程度だったのです。

また、アフターファイブ(時間外)においても、西野さんは部下と飲みに行くことを必要最低限に抑えていました。

このような環境や条件の下、コツコツと根気良く執筆を続け、ついには完成に至ったのです。

社長業と執筆活動という「二足のわらじ」を履くことができた環境に恵まれていたと言えるでしょう。

これらの点からも、西野さんは特異な才能を持った人物といえるでしょう。

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執筆経過

日本人会の会報誌に最初に投稿したのは、既に述べたように昭和43年5月号です。

タイトルは「日泰関係の歴史」で、一回に付き1200字程度の内容でした。

当時は手書きで書かれており、タイプライターはまだ普及していませんでした。

最終回は昭和46年5月号で、約3年間かけて同誌に連載されました。

その2年後、1973年(昭和48年)5月、西野さんが56歳のとき『日タイ四百年史』(初版)(時事通信社)を上梓しました。これは、支店長就任3年後の出来事です。

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本の特徴

この本は、学者が書いたものとは異なり、ビジネスマンである西野さんが執筆したため、読みやすく、わかりやすい表現でまとめられています。

また、本人の体験に基づき、実際の出来事をもとに執筆されている点も特徴です。

今後、この内容に匹敵する本は、出版されることはないでしょう。

この「日・タイ四百年史」は、後世に「金字塔」として残ることでしょう。

            

(次回号に続く

 

 2025年12月20日 タイ自由ランド掲載

著者紹介: 小林 豊
1948年北海道生まれ、自称フリー作家、在タイ38年、神奈川大学卒業、小林株式会社創業者、西野順治郎氏と長年交流。
著者へのメール:kobayashiyu99@gmail.com

 

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