西野順治郎列伝 112 第12章- 1 – 18 瀬戸正夫さんと西野順治郎さん


はじめに
タイに永住している日本人の中で、94歳という高齢ながらも元気で家族と共に余生を送っている人がいます。その方は、言わずもがな瀬戸正夫さんです。
瀬戸さんは、西野さんと共にタイの歴史に名を刻んだ人物です。 そんな二人の歩んできた足跡を辿(たど)ってみましょう。
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二人の出会い
1931年(昭和6年)5月23日、プーケットで父 瀬戸久雄、母 瀬戸テルの間で生まれています。
二人の最初の出会いは戦前に遡ります。 つまり、戦争前の昭和16年4月、勝野敏夫領事が赴任してシンゴラ(現ソンクラー)にて日本領事館開所式が行われ、その際西野さんと会っています。
その時、西野さんは24歳、瀬戸さんは10歳でした。瀬戸さんは父に連れられてこの式典に出席し、当時の西野さんの姿をしっかりと覚えています。
ここで、瀬戸さんの幼年期の頃を少し紹介します。
昭和14年、8歳の時でバンコクの日本人学校に入学するためにバンコクへ移っています。 言うまでもなく、父は特務機関(つまりスパイ)に属しており、当時のマレーシア、シンガポールはイギリス領であったため、これらの地域を占領するための前線基地として情報収集が行われていました。
領事館の開所式に出席したのは、日本人学校がたまたま休みで、父に会いにソンクラーに帰省した際に、父の誘いで開所式に参加したためです。
西野さんは、留学生の身分から任官を受けたばかりで応援要員として、この開所式に出席していました。
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次の出会いは、その2年後で西野さんが坪上卓二大使の秘書役を務めていた頃です。
当時、大使秘書は現在と異なり、公邸内に住み、24時間大使と共に行動していました。
大使と共に行動する西野さんを見ていた瀬戸さんは、「大使秘書として共に行動していたが、事実上大使と同等の権限を持っていた」と述べています。
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玉音放送と二人
8月15日の終戦記念日に、二人は大使館の庭で会っています。
当時の様子については、既に「西野列伝第51回、終戦と玉音放送」のタイトルで具体的に描かれています。この事について、瀬戸さんの著書「瀬戸正夫の人生(上)」には次のように記されています。
「大使館からの連絡で、「今日重大な発表があるので、在留邦人は全員日本大使館に集合するように」との連絡があった。当時の日本大使館は、今のプロンチット通りにあるイギリス大使館内にあった。
樹々に覆われた大使館の庭に集まったバンコクの在留邦人は、山本熊一大使が静かに朗読する天皇陛下の終戦勅語を、涙を流して聴き入った。
誰も日本が負けるとは思っていなかった。だが、しかし無条件降伏ではある。(以下省略)」
(次回号に続く)
2025年3月20日 タイ自由ランド掲載

「94歳の今も元気に過ごされている瀬戸正夫さん。その人生はまさにタイと日本の歴史と共に歩んできたものですね。戦前から戦後にかけての貴重な体験が綴られており、歴史の証人としての存在感が伝わってきます。お二人の出会いと絆に、時代を超えた重みを感じます。」

²: [The New York Times](https://www.nytimes.com/2018/02/03/world/asia/mount-everest-how-tall-nepal.html)
ソース: Bing との会話 2024/1/10
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.