西野順治郎列伝 109 第12章- 1 – 15 小谷亀太郎さんと西野順治郎さん
事業部長時の実績
日本人会内には約20の担当部がありますが、小谷さんは主に事業部を担当していました。
部外者にとって、日本人会の事業部がどのような活動をしていたのか想像がつかないかもしれません。
事業部は、ワットリアップ寺の支援、カンチャナブリ慰霊碑の管理、アユタヤ日本人村、ケンコーイ寺などの支援を行っている部門です。
特に、ワットリアップ寺の支援は、日本の高野山(真言宗)から僧侶を派遣してもらっており、小谷さんはその取り組みに特に力を注いでいました。
このような重要な事業において、小谷さんは率先して活動し、
その実績が認められ、日本大使館からタイにおける日本との関係強化に貢献したとして、勲章を授与されています。
座談会にて同席
小谷亀太郎氏、大峡一男氏、松田嘉久氏、それに西野氏の4名が、バンコク日本人商工会議所(以下、JCC)設立30年記念誌に掲載される座談会に同席しています。
この座談会は1985年6月27日、レストラン源氏で開催されました。
ここで、西野さんが発言内容は既に紹介済ですが、ここでは、現地で企業を設立した小谷さんの発言内容が注目に値するので、その部分を紹介します。
もっと中小の声を
以前から時々思っている事なんですが、大きな声はもちろん必要なものだが、もっと小さな声を反映するようなそういう代表をメンバーに加えられないものかと思います。
現在400社近い会員がいて15社の理事選挙があり、あと15社追加されて30社が理事のメンバーとなっているわけですが、かっては大企業でもないその他大勢の代表が選ばれていました。
中小企業の中にもいろいろな意見を言いたい人もいるのではないでしょうか。
400社の中には大商社もあります。しかしこの頃は中小企業も増えてきています。中小の方があるいは数においては大企業よりも多いかもしれない。会議所全体の中にはそういった声もあるはずなんです。
著者との出会い
小谷さんを描く際に、著者との出会いについても触れずにはいられません。
著者は1984年タイに移住し、その際に日本人会に入会し、その下部組織である懇和会に参加しました。
懇話会はタイに永く居住している日本人が集まる組織で、小谷さんは会長を務めていました。この会は、先述の4つの大事業を支援していました。
ある行事の際に、団体バスに乗車した際、小谷さんと隣同士になり、親しく話をした事を記憶しています。
その時、小谷さんは落ち着いていて冷静であり、理性的な人という印象を受けました。
一方で、人前で話す事が苦手で、冗談を言うタイプでもなかったようです。
当時、著者は既に「西野の子分」として知られていたので、小谷さんとは親密な関係には至りませんでした。
(次回号に続く)
2025年2月5日 タイ自由ランド掲載
🌸日本とタイの絆を支えた小谷さん🌸
ワットリアップ寺やアユタヤ日本人村への支援、カンチャナブリ慰霊碑の管理など、日本とタイの架け橋として尽力された小谷さん。その功績が認められ、日本大使館から勲章を授与されたことも納得です✨
また「もっと中小企業の声を」と語る姿勢から、誰もが発言できる場を大切にされていたことが伝わります👏
落ち着きと理性を兼ね備えた小谷さんの活動を、これからも多くの方に知っていただきたいですね!
#タイ日本人会 #日タイ友好 #小谷亀太郎
²: [The New York Times](https://www.nytimes.com/2018/02/03/world/asia/mount-everest-how-tall-nepal.html)
ソース: Bing との会話 2024/1/10
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.