第3章-25 戦前のバンコク 西野順治郎 列伝 41 冨田竹二郎先生と西野さん その2
冨田先生は大学でタイ語を教えていた頃、学生に対して「タイには西野順治郎という元在タイ日本大使館員で、現在商社マンをしている人がいる」と話していました。
これは冨田先生が、西野さんの能力を認め尊敬していたから自慢話として話題にしたのでしょう。
実はこのような話、友人として著者と懇意にしていた澤 武氏が語ってくれました。
澤氏は、大阪外国語大学の学生時代に冨田先生から「タイには西野順治郎という商社マンの手本となるような人が活躍している」と聞かされたとのこと。
引用すると
「大阪外国語大学時代に冨田先生から西野さんの関係出会いについて、そんなに詳しくお聞きしたわけでありません。先生からタイ語科の教え子がその頃すでにタイで活躍されていて、タイにおける日本人社会の重鎮であった西野さんにお世話になっている、というようなお話しでした。」と。
なお澤氏は、現在78歳という高齢ですが、大阪で元気に過ごされています。
話が個人的になりますが、澤さんが関西ペイント(株)の駐在員としてタイに派遣されていた頃、著者を大変可愛がってくれました。
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話を戻して、冨田先生は大阪人、タイ語、タイ国という共通のベースを持って西野さんを尊敬していたのではないでしょうか。
西野さんへの思いを学生に託した所に、冨田先生の西野氏への尊敬の念が感じられます。
以上、話は戦前、戦後の話を進めて来ましたが、少し現在のことも触れましょう。
冨田先生を生んだ大阪外国語大学は、承知の通り大阪大学と統合になり、その名前が消滅しています。
そんな中、残り少なくなった同大卒業生であり、タイに長く住まれている柘植隆治(80歳)さんから次の通りコメントをいただきました。
「西野順治郎氏と冨田竹二郎先生の交流に関して、冨田先生から在学中も卒業後も聞かされておりませんでした。
ただ、タイ領事を勤めていらっしゃった西野さんという方が、タイトーメン社の社長をされていること、日本人会のお世話もなさっているという事、さらに、タイトーメンは、タイの大規模繊維業のパイオニアであるタイ東レという会社を現地オーナーと合弁で運営している事は、周囲の人から聞かされていました。
タイ語学科の先輩が二人、タイ東レに就職されていたので、それにあやかって西野さんという日本人が長期に亘りタイにいらっしゃって、在タイ日本人の面倒や日タイ間のビジネス交流に携わっていらっしゃる、とお聞きしておりました」と昔を懐かしむように語ってくれました。
最後の最後ですが、思うに冨田先生のようなタイ語の教育、研究者は、西野さんと同様に100年に1人位しか輩出しない歴史に残る人物になることでしょう。
(次回号へ続く)
2022年3月20日 タイ自由ランド掲載