西野順治郎列伝 118 第12章- 5 ゲイソントラベルの加藤郁郎氏と西野順治郎氏

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在りし日の加藤郁郎氏(左)と著者
在りし日の加藤郁郎氏(左)と著者

 

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今回は、加藤郁郎氏と西野順治郎氏について紹介します。

加藤氏は、ゲイソントラベルに勤務していた人物であり、西野氏、アマリングループの松田嘉久氏、サリカグループとの出会いにつながる、重要な存在です。

加藤郁郎氏の紹介

1980年にタイを訪れた加藤氏は、その後ゲイソントラベルに入社しました。

同社で15年間勤務し、主に駐在員向けの航空券販売業務に従事していました。

なお1982年8月、それまで入居していたアマリンホテルの閉鎖に伴い、ゲイソントラベルは新たなオフイスを探し、ドゥシタニビルの10階へと移転しました。

西野氏と加藤氏の関係

西野氏と加藤氏の関係は、西野氏が松田氏の意向により、ゲイソントラベルの社外取締役に就任したことから始まります。

当時、西野氏は日本人会長、松田氏は同会の理事を務めており、さらに両者は日本人商工会議所理事でもありました。このため、松田氏が西野氏に取締役就任を依頼したと考えられます。

取締役に就任した西野氏は、航空券販売を担当していた加藤氏と出会い、一時期は上司・部下の関係にありました。

× × ×

その後、ゲイソントラベルは、1985年からサリカグループの傘下に入り、順調に業績を伸ばしていきます。

しかし、アマリンホテル閉鎖後の1982年8月、松田氏は経営の困難に直面し、取引銀行であったスタンダードチャータード銀行から融資を打ち切られてしまいます。このとき、松田氏が支援を求めたのがサリカグループ(鹿沼カントリー倶楽部)でした。

こうして1985年、サリカグループがゲイソントラベルを買収し、大幅な増資を行って事業を拡大しました。

加藤氏はこの時期について、「この1980年代後半から1990年代初頭にかけて、仕事が非常に面白かった」と述べています。

× × ×

しかし、1990年代に入ると、日本のバブル経済の崩壊が影響を受け、サリカグループの資金繰りがきびしくなっていきました。

ゲイソントラベル自体の業績は良好でしたが、赤字を抱えていたコーヒー事業が足かせとなり、さらに資金繰りは悪化。さらに不幸なことに、サリカグループ社長の不審死が発生し、これをきっかけにグループは解体されました。ゲイソントラベルは川崎汽船(Kライン)に吸収合併され、姿を消しました。

また、グループが所有していたナコンナヨックの農園とナワナコンの工場はクルンタイ銀行に接収され、日本人にも人気のあったサリカカフェも売却されました。

加藤氏は、サリカグループの経営悪化を受けて1996年に独立。ナワナコンで超小規模な旅行社を立ち上げています。

幸いにも、加藤氏はサリカグループの解体の直接的な影響を受けることはありませんでした。

※この内容はすでに掲載済み(列伝40号)ですが、物語の流れを継続するために再掲しました。 

 

                

(次回号に続く

著者紹介: 小林 豊
1948年北海道生まれ、自称フリー作家、在タイ38年、神奈川大学卒業、小林株式会社創業者、西野順治郎氏と長年交流。
著者へのメール:kobayashiyu99@gmail.com

 2025年7月5日 タイ自由ランド掲載

ペルプ 西野順治郎

 

ペルプ タイの日本人会

 

 

Tensui
Tensui


🌏タイで活躍した日本人たちの足跡をたどる――
今回はゲイソントラベルを支えた加藤郁郎氏と、のちにその運命に関わることになる西野順治郎氏の物語を再掲。
1980年代のバンコクを舞台に繰り広げられた出会いと別れ、企業と人の歴史が、静かに胸を打ちます。
#タイ日関係史 #ゲイソントラベル #列伝再掲 #昭和のバンコク #サリカグループの記憶


 

 

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