西野順治郎列伝 124 第12章- 10 – 2 石平厚一郎さんと西野順治郎氏



ロータリー活動
二人は、世界的な社会奉仕団体であるロータリークラブに所属し、積極的に活動をしています。石平さんは「Rotary Club of Bangkok South」に所属し、
英語を使用するこのクラブで、多国籍のメンバーと協力しながら活躍。 一方、西野さんはタイ人メンバーが主体の「トンブリー ロータリークラブ」に所属し、こちらでも積極的に活躍しています。
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石平さんは、日本語を使用するロータリークラブの設立を長年考えていました。
しかし、先輩である西野さんはその提案に興味を示さず、石平さんは設立のチャンスをうかがっていたのです。
そして、西野さんが亡くなった後、石平さんは突然設立に向けて動き始めます。
その結果、1年後には「バンコク・スリオン・ロータリークラブ」の設立総会(チャーターナイト)が盛大に開催されています。
なお、当クラブの設立発起人(チャーターメンバー)であった飯田光孝さんは、2022年にタイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマーを担当する国際ロータリーのガバナーに就任。
石平さんの意思を引き継ぎ、現在も活動を続けています。
それにしても、このクラブの設立年が西野さんの命日2001年3月5日と重なるのは、単なる偶然なのでしょうか。
著者が石平さんと交流を持ったのは、西野さんが亡くなった後のことでした。
石平さんについて印象的だったのは、元海軍予備士官出身で軍人魂を持っていたこと、スクムビットソイ26の超豪華マンション(約400㎡)に住んでいたことです。
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石平さんは会長に就任する4年前から、会報誌「クルンテープ」で「コーヒーブレイク」と題したエッセイを連載しています。日常にちなんだ英単語を取り上げ、身近な話題と結びつけるスタイルは、生活に密着した展開をするもの。
英語が堪能な石平さんならではの執筆活動でした。
また、会長に就任時には異例ながら文化部長も兼務しています。
これは、20年間文化部長を担当してきた経験が活かされたためです。
柔道五段という武道家でありながら、音楽を愛し、ピアノを弾いたりシャンソンを歌ったりする一面も持っていました。
一方、西野さんは執筆以外には時間を割かず、ビジネスに専念していたように見受けられます。
石平さんは「俺についてこい」と言わんばかりの自己主張の強さとリーダーシップを持つ人物でした。
対照的に西野さんは、質問されたことにしか答えない寡黙なタイプ。
この違いは、生い立ちに起因すると考えられます。
裕福な家庭で育った人と、貧農の家庭で育った人という背景が、それぞれの人格形成に影響を与えたのでしょう。
両者は身近な存在ではありましたが、最後まで親密な関係に至ることはありませんでした。
(次回号に続く
2025年10月5日 タイ自由ランド掲載


















