【サムライ女子はつらいよバンコク】第2話 本能寺瑠奈 – バンコクの虹
バンコクの喧騒が耳に入ってくる。本能寺瑠奈は、シーロム通りの雑踏の中に立っていた。退院してから1週間、彼女の中で山田長政の記憶と現代の感覚が融合し始めていた。
「はぁ…」
深いため息をつく瑠奈。その瞬間、頭の中で声が響いた。
「何をため息なんぞついておる。武将たるもの、常に凛々しくあるべきじゃ」
山田長政の声だった。瑠奈は心の中で返答する。
「もう、うるさいなぁ。私だってストレス発散くらいさせてよ」
「むむ…確かにストレス解消は大切じゃ。わしの時代なら、一杯やるところじゃが…」
「お酒は20歳になってからね。今はタピオカミルクティーでも飲もうよ」
「タピオカ…?何じゃそれは」
瑠奈は目の前のタピオカ店に向かいながら、長政に説明を始めた。
「もちもちした黒い粒が入ったお茶なの。甘くておいしいよ」
「ふむ…」
長政の声には興味と戸惑いが混ざっていた。
タピオカを注文し、店を出た瑠奈。ストローですするたびに、長政が驚きの声を上げる。
「おお!これは…なんと奇妙な食感…しかし、悪くない」
瑠奈は微笑んだ。「でしょ?現代にも楽しいものはたくさんあるんだよ」
そんな会話をしながら歩いていると、目の前に華やかな群衆が現れた。
「おや?あれは何じゃ?」
長政の声に、瑠奈は説明した。「プライドパレードだよ。LGBTQの人たちのお祭りみたいなもの」
「LGBT…Q?」
「うーん、簡単に言うと…性的マイノリティの人たちのことかな。同性を好きになる人とか、体の性と心の性が一致しない人とか」
長政の声が混乱気味に響く。「むむむ…わしには理解が難しいぞ」
そんな会話をしているうちに、一人の美しい女性が瑠奈に近づいてきた。
「こんにちは、パレードに参加しない?」
瑠奈が声の主を見ると、そこには長身でスラリとした美人が立っていた。
「わ、私も参加していいの?」
「もちろん!みんな歓迎よ」
その人物の声は、意外にも低く、どこか男性的な響きがあった。
瑠奈の頭の中で、長政が叫ぶ。
「おのれ!紛らわしい!あれは男か女か!?」
瑠奈は心の中で長政をなだめる。「まあまあ、そんなに興奮しないで。その人はレディーボーイっていうの。体は男性でも、心は女性の人たちのことだよ」
「なんじゃと!?そのような…」
長政の声が途切れる。瑠奈はその隙に、美しいレディーボーイに答えた。
「ありがとう。でも、今日は見学だけにするわ」
レディーボーイは優しく微笑んで去っていった。その後ろ姿を見送りながら、瑠奈の中で長政が呟く。
「確かに…美しかったな」
瑠奈はクスリと笑う。「へぇ、認めちゃったの?」
「む…美しいものは美しいと言うまでじゃ」
そんなやり取りをしているうちに、パレードの群衆が近づいてきた。色とりどりの旗や衣装、笑顔で歩く人々。瑠奈はその光景に目を奪われた。
「すごい…みんな楽しそう」
長政の声が響く。「確かに…皆、晴れやかな顔をしておるな」
そんな中、一際目を引く二人組が近づいてきた。一人は筋骨隆々としたマッチョな体型で、もう一人は小柄でかわいらしい。二人は手を繋いで歩いている。
長政が驚きの声を上げる。「おお!立派な武者殿じゃ!…ん?なぜあのような可憐な娘と手を…」
瑠奈は思わず吹き出しそうになる。「違うよ。マッチョな方が女性で、小柄な方が男性なの」
「な、なんじゃと!?」
長政の混乱ぶりが伝わってくる。瑠奈は優しく説明を続ける。
「ほら、性別って見た目だけじゃ分からないでしょ?さっきのレディーボーイもそうだけど、マッチョな女性だっているし、女性的な男性だっているんだよ」
長政の声が静かになる。「むむ…確かに、わしの時代にも女形や男装の麗人はおったが…こうも多様とは」
瑠奈は頷く。「そうそう。今の時代は、みんながありのままの自分を表現できるようになってきたんだよ」
パレードを見守りながら、瑠奈と長政は静かに対話を続けた。
「な、長政…あのさ、織田信長と森蘭丸のこと、知ってる?」
長政の声が驚きを含んで響く。「むろんじゃ。信長公は天下布武の志を抱いた偉人。蘭丸殿は…その…」
「うん、側近以上の存在だったんでしょ?」
長政が咳払いをする。「まあ…そのような噂はあったな」
瑠奈は微笑む。「ね?つまり、昔から同性愛的な関係はあったってことじゃない」
「む…確かにそうかもしれぬが…」
長政の声には戸惑いが混じっている。瑠奈は優しく続ける。
「大切なのは、相手の性別じゃなくて、その人を好きになること。そう思わない?」
長政はしばらく沈黙した後、ゆっくりと答える。
「…確かに、わしも色々な国を巡る中で、様々な文化や価値観に触れてきた。それぞれの土地には、それぞれの考え方がある。そして、時代と共にそれらは変わっていく…」
瑠奈は頷く。「そうそう。だから、新しいものを受け入れる柔軟さも大切なんだよ」
長政の声に、少し照れくささが混じる。「ふむ…わしも、まだまだ学ぶことがあるようじゃな」
そんな会話をしているうちに、パレードは過ぎ去っていった。瑠奈は、カラフルな旗を振る人々の後ろ姿を見送りながら、ふと思った。
「ねえ、長政」
「なんじゃ?」
「私たち、ある意味すごくユニークな関係だよね。女子大生の体に、男性の武将の魂が宿ってるんだから」
長政が咳き込む。「な、なんということを…!」
瑠奈は笑う。「冗談だよ。でも、こうやって違う時代、違う価値観の人間が一緒にいるって、すごく貴重な経験だと思うんだ」
長政の声が柔らかくなる。「…そうじゃな。わしも、お主と一緒にこの時代を生きることで、多くのことを学んでおる」
瑠奈は空を見上げた。バンコクの夕暮れ時の空が、オレンジ色に染まり始めている。
「これからも、一緒にいろんなことを経験していこうね」
「ああ、そうさせてもらおう」
二人の声が重なり、瑠奈の心の中に温かい気持ちが広がった。
そんな中、ふいに長政が声を上げる。
「おお!あれは何じゃ?」
瑠奈が目線を向けると、そこには派手な衣装を着た人々が集まっていた。
「あ、あれはカトゥーイ・カバレーショーの宣伝かな」
「カトゥーイ…?」
「うん、タイ語でトランスジェンダーの人たちのことをそう呼ぶんだよ。あのショーは、歌や踊りのパフォーマンスが楽しめるの」
長政の声に興味が混じる。「ほう…わしの時代の歌舞伎のようなものか?」
瑠奈は笑う。「そうそう、似てるかも。女形の文化がある歌舞伎を知ってるなら、カトゥーイの文化も理解できるはずだよ」
「なるほど…」
長政の声に、少し理解が進んだような響きがあった。
そんな会話をしながら歩いていると、突然、長政が声を上げた。
「おい、瑠奈!あそこを見てみろ」
瑠奈が目を向けると、そこには手を繋いだ二人の女性が立っていた。二人は優しく見つめ合い、そしてキスをした。
長政の声が驚きに満ちている。「あ、あれは…」
瑠奈は静かに説明する。「うん、女性同士のカップルだね。タイは最近、同性婚を認める方向で議論が進んでいるんだ」
長政の声が低くなる。「同性婚…か」
瑠奈は続ける。「そう。愛し合う二人が、性別に関係なく結婚できる。それって、素敵なことだと思わない?」
長政はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと話し始めた。
「…確かに、わしの時代では考えられないことじゃった。だが、人々が幸せになれるのなら…それも一つの道かもしれぬな」
瑠奈は嬉しくなって、思わず声に出して言った。
「うん、そうだね!」
近くにいた人々が不思議そうに振り返る。瑠奈は慌てて、何でもないように装った。
夕暮れのバンコク。瑠奈は、心の中の長政と共に、ゆっくりと歩を進めた。今日一日で見た光景や経験が、二人の中で少しずつ消化されていく。
「ねえ、長政」
「なんじゃ?」
「私たち、これからどうなっていくのかな」
長政の声が優しく響く。「さあな…だが、お主と共に歩む道は、きっと面白いものになるじゃろう」
瑠奈は微笑んだ。「うん、そう思う」
バンコクの街に、夜の闇が静かに降りてきた。瑠奈の心の中で、現代のZ世代の感覚と、武士道が融合してゆく