【タイの田舎の小さな家から】タイの仏教を30日で学ぶ –Day 18 「慧(パンニャー)」とは何か

Day 18
「慧(パンニャー)」とは何か
— 体験から生まれる、本当の智慧 —
仏教の三つの修行の柱、
戒(シーラ)・定(サマーディ)・慧(パンニャー)。
その完成点とも言えるのが、慧です。
慧とは、
本を読んで得る知識や、頭での理解ではありません。
自分自身の体験を通して見抜く智慧です。
■ 知識と智慧の違い
知識は、
「無常・苦・無我を知っている」こと。
慧は、
「本当にそうだと腑に落ちている」こと。
たとえば、
怒りが生まれ、消えていく様子を
自分の心で観察したとき、
無常は“概念”から“実感”へと変わります。
■ 慧は静かな心から生まれる
心が散らかっていると、
世界は歪んで見えます。
戒によって行いが整い、
定によって心が静まると、
物事をありのままに見る力が育ちます。
そのとき、
自然と慧が芽生えてきます。
■ タイ仏教における慧の育て方
タイ仏教では、
慧は「得ようとするもの」ではなく、
気づきが深まった結果として現れるもの
と教えられます。
ヴィパッサナー瞑想では、
感情・感覚・思考を
「起きては消えるもの」として観察します。
そこに判断は要りません。
ただ、知るだけ。
■ 慧がもたらす自由
慧が育つと、
苦しみが完全になくなるわけではありません。
しかし、
苦しみに「縛られなくなる」自由が生まれます。
起きる出来事は同じでも、
受け取り方が変わる――
それが智慧の力です。
■ 今日の小さな問い
今日一日、こんな問いを持ってみてください。
-
いま心に起きているものは何だろう?
-
それは変わり続けていないだろうか?
-
「私のもの」と言い切れるだろうか?
答えを出す必要はありません。
気づきこそが、慧を育てます。
🔔 次回予告 – Day 19

明日は、
**「悟り(ニルヴァーナ)」**について学びます。
遠い理想ではなく、
今この瞬間に触れることのできる解放とは何か。
静かに、その輪郭を探っていきましょう。


















