第3章-11 チェンマイクンユアムと日タイ友好記念館 西野順治郎列伝㉖

クンユアムにある日タイ友好記念館:著者撮影

インパール作戦は、1944年3月に始まり7月に中止になっています。 よって、この年から翌年の前半までビルマから撤退が続いたのでしょう。 蛇足ながら、この作戦は無謀な作戦の例として後日語られることになります。 どの位の将兵がクンユアムルートで退却してきたのか確かな数字はありませんが、西野さんは約7500名という数字をあげていますので、その数字を採用しましょう。 タイ政府は、退却して来た日本軍に対して、手厚くもてなすよう指示を出しています。 ビルマからタイに戻った日本兵に対して、北タイの村民はお寺、学校、病院、民家に収容して、食料を提供するなど好意的対応を示しました。 「日タイ友好記念館」 現地取材を進める中で、メーホンソーン県クンユアム郡クンユアム町に「日タイ友好記念館」があることを知りました。 この記念館は、約11年前に当時の警察署長チューチャイ・チョムタワット氏の努力により完成しました。 展示品は、旧日本軍がビルマから持ち帰った物で約1000点あり、見ごたえがあります。 ちなみに、タイ日友好記念会館前には日本の丸の旗がなびいています。 タイ国内で唯一、一年中日本の国旗が掲揚されているのはこの地だけでしょう。それだけ村人は親日ということです。 一度歴史を訪ねて、この地を訪問することをお勧めします。 ワットムーンサーン 旧日本軍がチェンマイに駐留して、ワットムーンサーン寺で紙幣を発行していたこと(偽札)、そこに軍隊の拠点があった、と書かれています。 この事実は、負の遺産なので残したくないでしょう。クンユアム町にあるタイ日友好記念会館の展示品の中にインド、マレーシア、インドネシアなどの紙幣を見ることができます。案内の方はチェンマイで印刷した、と説明してくれました。 紙幣印刷をカモフラージュするため、表向きは病院施設として住民に開放していたのでしょう。 なお、ワットムーンサーン寺は、チェンマイの市内にあります。 西野さんとクンユアムの関わり 西野さんは、昭和16年9月チェンマイ領事館に赴任、昭和18年4月にバンコクの日本大使館に転勤しています。 兵站ルート建設は、1942年(昭和17年)初めより開始していますので、その動向を逐次収集してバンコクへ報告していたでしょう。かつ、現地の労働力確保についてタイ側と調整していたでしょう。 同時に日本軍の動きについても情報収集して本省(バンコク)に定期的に報告していたでしょう。 バンコクに異動してからは、タイ政府と交渉する窓口に従事したので、この立場からチェンマイ地方の動向も特に注視していたでしょう。 とりわけ、ビルマからの撤退情報も入手していたことでしょう。 重ねて書きますが、西野さんは他のどの地域よりチェンマイ地方の動向に関心を持っていました。 それは、この地に思い入れがあったからです。

(次回へ続く)

   

2021年8月20日 タイ自由ランド掲載

 

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