西野順治郎列伝 83 生前の足跡第11章-3 日本とタイの関係 反日運動(3)
しかし乍ら、タイでは政変後の開放感と前掲石油問題などに拍車をかけられているインフレ・ムードのため73年末より全国至る処で山猫ストが起こっているのは遺憾である。
従来の賃金ベースでは低過ぎたとはいえ法律に規定されている調停や予告の手段も無視されている事は、労使双方はもとより当局も反省すべきである。
特に、日系企業の給与ベースは現地企業に比して高水準あることも念頭におかれ慎重に行動されるようお願いしたい。
当地における一部の人たちが言う反日感情を気にしすぎて、何でも現地スタッフの要求には屈服するという卑劣な態度は取るべきではなく、理を通すべき処は頑張るべきであると考える。
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対日批判の問題であるが、これは一昨年11月学生が貿易の不均衡・進出日系企業の態度等について非難したが、貿易尻については、産業投資を行って工業製品の輸出振興まで行かない限り早急の解決ができないこと、又進出企業に関してはタイの経済発展に貢献している点など充分に認識されていなかった処に問題がある。
これは、ある程度識者に認められ対日非難の声も一時下火になっていたが、73年11月末バンコクで開催されたアジア太平洋学生会議では、先進国からの経済援助の必要性を説き乍らも反面において日本および米国の態度は経済侵略であると抗議している。
そして、これらの攻撃の矢面に立たされているのはわれわれ現地の在留邦人である。
従って、われわれの行動、現地の人たちと相互理解を深めることこそ、われわれに対する非難を和らげる最も重要なファクターになる事は言を俟(ま)たない処である。
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「我々は常に他人の家に住ませてもらっている、という気持ちを忘れてはならない。
日本人は、封鎖的で仕事の話以外は外国人と交わらない、とよく言われている。
仕事に関係なく進んでタイの人たちと接し、親交を深めることが、現地に住んでいる我々に与えられた重要な任務ではなかろうか。
日頃のゴルフでも時には、タイの人たちと一緒にするという気持ちを持って貰いたいものである。」
西野氏のような滞在国への愛着ある鋭い洞察を持った先輩達のお陰でタイは反日の再発はありませんが、時々こうした負の歴史を遡(さかのぼ)るのも良いでしょう。
(上記は西野氏の文章の引用ですが本稿のタイトルの中での編集の責任は小生にあります)
(著者注:タイ国日本人会百年史「反日運動」西野順治郎さん(第30代会長)の遺稿から タイ国日本人会理事 佐藤実氏)
(次回号へ続く)
[word_balloon id="2″ size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]西野順治郎さんは、日本の外交官、実業家、教育者であり、初代在泰日協会学校理事長、元タイ・トーメン社長・会長です¹。西野さんは、1917年8月9日に大阪府岸和田市で生まれ、横浜専門学校(現・神奈川大学)で学び、外務省留学生試験に合格し、タマサート大学法学部に国費で留学しました¹。西野さんは、タイで1969年に発表された小説『Khu Kam(運命の人)』を、『メナムの残照』の題で翻訳しました¹。²¹: [Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E)
²: [The New York Times](https://www.nytimes.com/2018/02/03/world/asia/mount-everest-how-tall-nepal.html)
ソース: Bing との会話 2024/1/10
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.[/word_balloon]