【なつかしい記事】店主物語り ⑧ タ イから日本へ帰国して3ヵ月で決断、日本からの「第4の進出ブーム」が来る

1989年、タイの立ち上げの責任者として赴任した山口は、商社とのプロジェクトで、さっそく不動産開発を手がけた。バンカディ工業団地の前にある100ライの土地で、高層ビルや一戸建てを開発するもの。それと同時に山口自らが企画から練り上げたルアムルディーのサービスアパートの開発、ランシットの100ライに及ぶ土地分譲。

その当時は日本でバブルのころだったが、タイに進出して不動産開発をしている企業はまれで、ノウハウがない中、自分が先陣を切って駆け回らなくてはいけなかった。日本から連れて来た部下の井内とともに奔走していた。

建築許可もなかなか出ない。自分が直接、役所に説明をしたいが、ことばの問題もあり、スタッフを行かせるが一向に許可がおりない。自分も乗り込んでみたがそれでもダメ。都知事に会いに行くと「ワイロなどは絶対に出さないで下さい」と言われ、出したくないのはやまやまだから、出さないでいると、やはり一向に許可がおりない。

それでも3年半の任期の間で、プロジェクトは順調に進み、後任に引き継いで帰国した。

タイでは自分の指揮のもと、自分の判断でやりくりしていたが帰国して、興和物産の本社に行けば、自分は一部署の責任者。上司が7人もいて、1日で判断ができる仕事が1ヵ月かかる。そのころ、ちょうどバブルがはじけて、不動産開発もやりにくくなっていたころ。山口は結構な高給取りだったが、こんなに給料をもらっていてよいのかなあ、と思うこともあった。41歳でこれから一生懸命、働いたとしても15年。自分らしく自分の意志でやってみてもいいのかな、と思い出していた。

日本で自分の会社をつくるとなるとたいへんだが、赴任して印象もよいタイなら何とかやっていけそう、という青写真も描いていた。

それで、タイから帰国して3ヵ月ほどで決心し、1993年に再びタイの地を踏んだ。


店主物語り ⑧ タ イから日本へ帰国して3ヵ月で決断、日本からの「第4の進出ブーム」が来る

不動産開発の経験はあったが、まずは手始めとして、日本人駐在員向けのアパートの仲介から始めることにし、「あぱまん情報」を立ち上げた。

当時は、同業者としては小林不動産や中部不動産などがあったが、不動産専門でやっているところはほとんどなく、そこを売りにして日本人駐在員にアピールした。

不動産開発の時にコネのあった大手商社の日本人80人などを一手に引き受けられたのもよかった。当時から仲介では家賃の1ヵ月分が仲介料として家主からもらえた。その当時でも1ヵ月7万バーツの家賃などの駐在員も普通にあった。

ちょうど日本からの企業進出ブームも後押しした。問い合わせだけで1日50件の時もあった。日本人駐在員向けのアパート紹介は活況だった。

そして、不動産開発の手始めとしてシラチャーでサービスアパートをつくる。また、バンコクで初めてのサービスオフィスを、日本から進出する企業向けに売り出した。これはまず、準備段階や工場立ち上げのためのバンコク事務所として、小規模のオフィススペースを提供するもので、コピー機やFAX、日本語の受け付けなどをすべて完備して、カバン1つで事業が始められる、が売りだった。

そのほか、ミャンマーにも進出し、ビルを借り上げて内装し、日本人商社マンなどに貸し出した。

さらには、同地で人材派遣業にも乗り出し、メイドの派遣なども手がけた。派遣した先から電話があり、「メイドが洗濯機を倒している」という。従業員を急いで行かせると、洗濯機を横にして水を流しているメイドの姿があった。そのメイドは洗濯機を見たこともなかったのだ。

40代の山口はビジネスマンとして脂の乗った時期。当時は行け行けの事業展開だった。

しかし、1997年の通貨危機で一転、不採算の事業は整理した。それでも本業での被害はそれほどなく、十分に乗り切る自信はあった。

ただ、アパートの仲介という仕事は、タイでは免許もなく、だれでも参入できる業種だった。そのため、日本人の参入が増え、日本人駐在員のパイを取り合う形となっていった。

不動産開発のデベロッパーとしての自負があった山口は、そんな「アパートの紹介業」という肩書から何とか脱皮して、自らの手で開発も手がけたい、と思うようになっていた。

そして、2006年、トンローで土地を借り上げ、そこに日本人向けのサービスアパートをつくる計画を立て実行した。土地の家主でもない1個人の日本人が、自ら企画設計、建築の指揮をとり、自己資金で完成させたのが「プレミア・トンロー」だ。これは山口のそれまでの経験を生かした集大成ともいえる作品だった。

今年は赤服の騒動などがあり、日本人駐在員の滞在などが減少気味だったが、ここに来て、日本からの進出がまた活気を取り戻してきた。「第4の進出ブームが来るのでは」と山口は過去の流れを見て、分析している。

実際に、タイに進出したいという企業などとの打ち合わせに奔走しており、今では、工場の貸し出し、工場の売買、住居アパートの紹介、賃貸オフィスの提供など総合的なサービスができるのが山口の強みだ。

アパートの紹介というのは、実際に動きまわるスタッフが重要だ。しかし、タイではいずれ独立したり、帰国したりと、スタッフが入れかわり、立ちかわりする。そんな状況を山口は見てきて、マンパワーに頼るだけではなく、もっとノウハウを提供できる会社を、という方向性を持って事業をしたいと感じている。

日本から進出する企業に対しても、会社設立、BOI、経理、人材紹介、工場建設、アパート探しなど、それぞれのエキスパートが対応し、そのグループがワンストップサービスできる仕組みを、というのが山口の考える理想的な、カスタマーサービスだ。トータルにサービスを提供し、山口もその一端を担う。そんなグループ会社をつくれたら、と「第4の進出ブーム」に向けて考えている。 (敬称略

2010年9月20日 タイ自由ランド掲載

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