【タイの田舎の小さな家から】タイの仏教を30日で学ぶ –Day 13 「執着(アップダーナ)」とは何か

Day 13
「執着(アップダーナ)」とは何か
— なぜ人は手放せず、どうすれば自由になれるのか —
仏教では、私たちの苦しみの大きな原因として
**「執着(アップダーナ)」**が挙げられます。
昨日学んだ
無常・苦・無我 を理解したあとに、この「執着」を学ぶことで、
仏教の教えは一気に“日常に使える智慧”へと変わっていきます。
■ 執着(アップダーナ)とは?
執着とは、
「本来は変わり続けるものを、変わらないものだと思い込み、
それにしがみつこうとする心の働き」です。
例えば――
-
人間関係へのこだわり
-
お金や地位への固執
-
若さや健康への執着
-
「こうあるべき」という自分の考え
これらはすべて、執着の一例です。
■ なぜ人は執着してしまうのか
理由はとてもシンプルです。
人は
「安心したい」「失いたくない」「苦しみたくない」
という気持ちを持っているから。
しかし皮肉なことに、
仏教ではこう教えます。
執着すればするほど、苦しみは深くなる。
無常なものに執着すれば、
変化したときに必ず苦が生まれるのです。
■ 無常・苦・無我とのつながり
-
無常:すべては変わる
-
苦:執着すると苦しみが生まれる
-
無我:「自分のもの」と思うものは本当は存在しない
この三つを理解すると、
「執着は苦しみの燃料」だと自然に見えてきます。
■ 執着を“無理に捨てなくていい”
ここで大切なのは、
無理に手放そうとしないことです。
仏教は、
「執着するな!」とは言いません。
代わりに、
-
気づく
-
観察する
-
そのまま見守る
という姿勢を勧めます。
「今、自分は執着しているな」
と気づくだけで、
執着の力は少しずつ弱まっていきます。
■ タイ仏教的なやさしい教え
タイの僧侶たちはよくこう語ります。
「持ってもいい。
でも、握りしめなくていい。」
これは在家の人にも実践しやすい教えです。
家庭があっても、仕事があっても、
すべてを“仮のもの”として大切にする。
それが執着から自由になる第一歩です。
■ 今日の小さな実践
今日はぜひ、こんな問いを自分に向けてみてください。
-
いま一番しがみついているものは何だろう?
-
それが変わったら、私は何を恐れているのだろう?
答えを出さなくても大丈夫。
問いを持つこと自体が修行です。
■ 次回予告 – Day 14

次回は、
**「渇愛(タンハー)」**について学びます。
執着のさらに奥にある、
「欲望の正体」とは何か。
苦しみの連鎖を断ち切る智慧を、
一緒に探っていきましょう。



