慶応大学の入学試験を受けたが、中国人は全員合格し、その他の外国人で入学できたのは私
一人でした。
最初は陸軍大学を目指していたのですが、以前は外国人留学生も日本人と全く同じ教育を受
けられたのに、中国の蒋介石が陸軍大学を卒業したにも拘わらず、その後日本の敵となって戦
うようになったため、外国人留学生は日本人とは別のクラスで教育するように規則が、
変わってしまっていたのです。
もちろん、タイ人も中国人、モンゴル人等の外国人と一緒に勉強するようになっていました
。
そこで、別々に教育を受けるのでは意味がないと考えてやめたのです。
慶応では、最も良いと思ったので経済学を専攻しました。
当時留学生の中で、経済学を専攻するものはいなかったので皆大変びっくりしたようです。
勉強では高等数学で苦労しました。
英語の他に外国語をもう一つ選択しなければならないのでドイツ語にしました。当時ドイツ
は非常に尊敬されていましたからね。
中国文学と日本文学も難しかったですね。
当時は1科目でも落とすと退校になってしまうので大変でした。今から考えると、一番ドイ
ツ語で骨を折りましたねぇ。何しろ外国語で外国語を習うというのは二重の苦労があったわけ
です。
先生の方も私に好意を持っているからなのか、意地悪なのか、いつも私に訳させるのです。
ドイツ語を日本語に訳すのは本当に大変でした。
しかし、一生懸命努力して何とか合格点をもらった時は大変喜びましたよ。
× × ×
卒業間近になって、たまたまタイ国で1941年にタイランド・バンクが設立された話を聞
いたのでタイへ帰ったら、この銀行に勤めようと決心し、卒論にも「中央銀行の管理法」のテ
ーマで論文を書きました。 なぜ銀行が良いと思ったのかというと、私はなるべく役人にはな
りたくないと思ったのでね。
卒業後1年ちょっと日本銀行で研修しました。
そこではいろいろな課に回されて、いろいろな体験をしました。
そのことでは、当時の係りの人に感謝しなければいけないと思っています。 (次回号に続く)
2026年11月4日 タイ自由ランド掲載
