西野順治郎列伝 133 第13章- 6 日本人学校との関わり

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「泰日教会学校」通称:バンコク日本人学校:著者撮影

西野順治郎氏は、1979年3月に8年間務めたタイ国日本人会会長を勇退すると同時に、バンコク日本人学校の運営委員長(後に理事長と改組)を委嘱されました。

当時の学校は、プロンチットにありましたが、生徒数の急増により手狭になり、増築の必要に迫られていました。

しかし、地主が3年以上の長期賃借契約には応じなかったため、学校運営委員会は新たに土地を確保し、移転・新築することを決議しました。

その条件として、日本政府に一部補助金下付(かふ)の申請はするものの、総所要資金(18億円)の3分の2を受益者である日系進出企業からの寄付で賄うこととし、移転先は日本人の多く住むスクンビット通りから通学に便利な場所で探すことにしました。

偶然にも、学校運営委員の一人であるタヌース医師(日本留学経験者)から、彼の友人がスーンウイチャイ地区に適当な土地を所有していると紹介があり、地主とアポイントを取り、数名の運営委員とともに現地を視察しました。

この中には、運営委員会が任命した建設小委員会の小林委員長(東京海上支店長)学校のコスムマネージャー、能美事務長も同行しました。

現場では地主より「ワー(土地の単位で4平方メートル)当たり2500バーツ」提示されましたが、交渉の末、2400バーツで承諾させました。

西野さんは、直ちに権利証のコピーの裏にワー当たり2400バーツと記入し、地主のサインを取り付けました。

約1週間後、運営委員会でこの土地を12ライ(1ライは1600平方メートル)購入を決議し、その旨をタヌース医師を通じて伝えたところ、急遽「ワー当たり3000バーツに値上げしたい」との回答がありました。

これに対し学校側は、「確認のサインをしておきながら1週間で値上げするようでは話にならない。他の土地を探す」と伝えました。

すると地主は、「当初の値段通り2400バーツで契約する」と再回答してきました。

このような経過で土地の確保は成立しましたが、西野さんがこの地主に会ったのは、最初の現地視察時と契約調印の日のみであり、その際も大勢の関係者が同席していました。

しかも、この地主は愛想のない無口な人であったため、西野さんは事務的なやりとり以外には何らの会話もしていません。

登記変更や代金支払い等は、全てコスムマネージャーと能美事務長の手によって行われました。

ところが意外なことに、誰が言い出したのかわからないまま「学校の土地取得に黒い霧があった」との噂が立ち、日本人会総会で質問する者まで現れました。(※以上の内容は西野さんの手記に基づきアレンジしたものです)

        

(次回号に続く

 2026年2月20日 タイ自由ランド掲載

著者紹介: 小林 豊
1948年北海道生まれ、自称フリー作家、在タイ38年、神奈川大学卒業、小林株式会社創業者、西野順治郎氏と長年交流。
著者へのメール:kobayashiyu99@gmail.com
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