西野順治郎列伝 132 第13章- 6 日本人学校との関わり

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1989年5月 シリントーン王女をお迎えする 日本人学校理事長の西野さん(中央はコスムマネージャー) 1989年5月 シリントーン王女をお迎えする 日本人学校理事長の西野さん(中央はコスムマネージャー)

初めに

西野さんは、いつ頃から日本人学校に関係してきたのでしょうか

バンコク日本人商工会議所(JCC)理事や日本人会長を歴任された西野さんは、日本人学校にも深く関わっていました。

資料によると、1979年、62歳の時に第5代泰日教会学校の運営委員長に就任し、学校の責任者になっています。これは、トーメン会長就任4年後の頃です。

ある時、さりげない会話の中で、「大使館から依頼されて就任した」と著者に語ってくれました。

1986年、69歳の時には泰日協会が理事制に移行し、それまでの運営委員長から理事長に就任しています。

5年後の1992年、75歳にて泰日協会学校の理事長を退任しています。

このように、運営委員長と理事長職を合わせて13年間務めたことになります。

ちなみに、初代から4代までは学校運営委員長は歴代の大使館公使が努めており、西野さんの退任以後は、バンコク日本人商工会議所(JCC)の理事が2年交代で理事長職を引き継いでいます。

こうした経緯から、西野さんは長期間、学校の責任者を務めたことがわかります。

この理事長辞任をもって、日本人会やJCC役員、トーメン相談役など、すべての公職から退いています。

これだけを見ると、西野さんは「神輿に乗った幸運な人」と思われるかもしれませんが、実際には学校の運営や経営に多大な努力を払っていたように思われます。

タイ政府の許可

西野さんは生前、具体的な日本人学校の許可取得に関する苦労話を著者に語ってくれたことがあります。

かってタイ政府は、中国語の普及を恐れ、外国語学校に対して非常に厳しい制限を課していました。時には、中国学校を焼き払うという厳しい政策が取られたこともあったと聞いています。

そのような状況下で、日本人学校も例外でなく、戦後無許可で日本語教育を行ってきましたが、次第にタイ政府からの圧力が強まりました。

これに対し、西野さんを中心とした関係者たちは、正式な認可を得るために尽力しました。

その結果、泰日協会学校は1974年7月24日付けでタイ政府から正式に認可され、「泰日協会学校」としてタイ国私立学校法に 基づく学校となっています。

この認可に至るまでには長年の努力があり、同年1月の田中首相によるタイ訪問時の、タイ政府との交渉の結果によるものです。

学校移転

それまでワイヤレス通りにあった日本人学校は、手狭になったため、ラーマ9世通りの現在の地に移転しました。

実際の移転は、1982年6月のことです。

このことについて、著者の思い出を交えて説明しましょう。

著者は1984年にタイに来ましたが、その翌年、視察のため初めて日本人学校訪れました。

当時のラーマ9世通りは、まだ高速道路もなく、拡張中の広い通りでした。学校のあるソイ17は「日本人学校通り」と表記されていました。

この学校移転の経緯については、日本人会会報に詳しく記載されていますので、後日紹介します。

          

(次回号に続く

 

 2026年2月5日 タイ自由ランド掲載

著者紹介: 小林 豊
1948年北海道生まれ、自称フリー作家、在タイ38年、神奈川大学卒業、小林株式会社創業者、西野順治郎氏と長年交流。
著者へのメール:kobayashiyu99@gmail.com

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