西野順治郎列伝 93 第11章- 14 国際感覚と東南アジア 2
しかし、我々はここで安心してはならない。
この問題はまだ解決された訳ではなく、日本側の態度も見守っている段階と言ってよかろう。
東南アジアにおける日本の進出企業が現地人の登用を考えていないと言われると、ある会社では現地人を何名部課長にしたと弁明する向きもある。
しかしながら現地人の部課長と日本人の平社員とを比較してどちらに多くの権限と信頼を与えているかが問題である。
日本人は先入観として欧米人には必要以上にへりくだり、反面発展途上国の人に対しては蔑視する癖がある。
× × × ×
京都大学東南アジア研究センターの矢野助教授がその著「日本の南進と東南アジア」の中で従来の東南アジアにおける日本人の姿勢を評して「場末あるいは僻地と見る見方がいまだに根強い。
そして「理」のないところを見て振る舞っていると述べている。
この書を通して矢野助教授は日本人はあまりにも東南アジアを知らなすぎる、そして現地にいる人たちでも一握りの親日派と称される人を見ているだけで真の東南アジア社会を知らないと言っているがこれは誇張した酷評ではないかと思う。
しかしながら、日本と東南アジア諸国との結びつきは貿易・投資・経済協力を通じていっそう緊密の道を加えつつある。
東南アジア地域ではその経済発展のためにはまだまだ日本の技術や資本を希望するであろう。
一方日本としては彼らの持つ資源や労力に頼らなければならないのである。
しかし彼らとの接触において我々日本人として最も留意をしなければならない事はならない重要な事は彼らのプライドとナショナリズムを無視してはならないと言うことである。
単に資本を持ち込んで貿易収支を改善してやれば反日運動はなくなるのだと言うような安易な考え方が許されないのである。
我々は過去における日本と発展途上国との関係を回顧ないし反省すると共に、彼らの社会をできるだけ深く研究して彼らとの関わりに正当性を持ち得るためにはどのような条件が満たさなければならないかと言うことに対してももっと感受性を働かすべきである。
このためには未来を背負って立つ若者たちにもっと知識を広く世界に求め、国際感覚を豊かにしてもらいたいと希望するものである。
(昭和13年貿易学科卒業、現タイ国日本人会会長タイトーメン社長)
昭和51年4月刊行の「宮陵」第25号より
提供:神奈川大学資料編纂室、木内義信
(次回号へ続く)
2024年6月20日 タイ自由ランド掲載
[word_balloon id="2″ size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]西野順治郎さんは、日本の外交官、実業家、教育者であり、初代在泰日協会学校理事長、元タイ・トーメン社長・会長です¹。西野さんは、1917年8月9日に大阪府岸和田市で生まれ、横浜専門学校(現・神奈川大学)で学び、外務省留学生試験に合格し、タマサート大学法学部に国費で留学しました¹。西野さんは、タイで1969年に発表された小説『Khu Kam(運命の人)』を、『メナムの残照』の題で翻訳しました¹。²¹: [Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E)
²: [The New York Times](https://www.nytimes.com/2018/02/03/world/asia/mount-everest-how-tall-nepal.html)
ソース: Bing との会話 2024/1/10
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.[/word_balloon]