第11章-2 西野順治郎 列伝82 生前の足跡日本とタイの関係 反日運動(2)

ラーマ4世通りにかかる日タイ友好橋(著者撮影)

西野さんは、田中首相のタイ訪問2年前から、既に述べたようにJCC役員に就任しており、無役職の筆頭理事に任命されています。
この任命は70年のJCCの歴史の中で西野さんだけが経験したものでした。事実上、会頭代理のように扱われました。
反日運動が激化する中、このように活躍した西野さんを評価すると共に、彼は今後も輩出されない唯一無二の存在でしょう。
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話が逸れますが、著者は1980年代初めに来タイしていますが、その時でも西野さんの口癖「我々は常に他人の家に住まわせてもらっているという気持ちを忘れてはならない」を聞かされたものです。

そして、著者もこの言葉を周囲の人に頻繁に使用したものです。つまり、タイという国に住まわせてもらってビジネスを行っている、という謙虚な心を持つべきだという意味。

現在では、タイとの立場が対等になり、昔のような考えは通用しませんが、しかし、その精神だけは失いたくないものですね。
この時期が西野さんにとってビジネスマンとして、多忙な時期であったでしょう。

当時、彼は55歳前後であり、まだまだエネルギッシュな年齢でしたから。
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この反日運動に関して、日本人会百年史の中で西野さんの見解が書かれていますので以下紹介します。

その記事を取り上げたのは、当時日本人会理事で百年史の編集委員だった佐藤実氏(郵船ロジテックス、タイランド)で、西野さんの「反日運動」の見解を好評価して取り上げたのでしょう。

 

反日運動
西野順治郎さんの遺稿から
タイ国日本人会理事 佐藤実

現在のような友好的な日・タイ関係において反日運動といっても場違いな感じは否めませんが、このタイにおいても反日運動が吹き荒れた時期があった事は忘れてはなりません。

1973年のクーデターをきっかけに学生運動の延長で反日運動は始まりましたが、本稿では1971年から9年間に亘って日本人会会長を務められた西野順治郎氏が、クルングテープに寄稿されている文章から当時の様子を窺(うか)がうこととしましょう。

1974年の念頭所感では、次のような記述があります。

「タイでは73年10月に学生運動を端に政変が起こり旧政権は追放され民主政治への胎動が急速に展開しつつある。

強力な軍事勢力をバックに東南アジアでは最も安定した家に見えていたタノム前政権が、我々外国人だけではなく多くのタイ人たちの予想も裏切ってあっけなく一夜にして倒れたのはタイ国民の民主政治への強い意欲と独裁と汚職に対する反発があったからであろう。

われわれ在留邦人としても、タイ国において明るい清潔な民主政治が成長することを心から期待しまた歓迎するところである。

(次回号へ続く)

 2023年12月5日 タイ自由ランド掲載

関連リンク

 

Bing AIにきいてみた 西野順治郎さん

西野順治郎さんは、日本の外交官、実業家、教育者であり、初代在泰日協会学校理事長、元タイ・トーメン社長・会長でした¹。1917年8月9日に生まれ、2001年3月5日に亡くなられました¹。以上の情報はWikipediaに掲載されている情報です¹。

¹: [Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E)

ソース: Bing との会話 2023/6/27
(1) 西野順治郎 – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(2) 西野 順治郎 – Webcat Plus. http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/55292.html.
(3) 西野順治郎とは – わかりやすく解説 Weblio辞書. https://www.weblio.jp/content/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E9%A0%86%E6%B2%BB%E9%83%8E.
(4) 日タイの親善に尽くした功労者、西野順治郎列伝 ① | タイ バンコク タイ自由ランド. https://jiyuland5.com/%e8%a5%bf%e9%87%8e%e9%a0%86%e6%b2%bb%e9%83%8e%e3%80%80%e5%88%97%e4%bc%9d-%e2%91%a0/.