第3章-34 戦前のバンコク 西野順治郎 列伝 50 サーイユット カートポン大将 その③

中央がサーイユット氏本人、後列中央が飯田さん(写真提供)

陸軍大佐、辻政信の話

また彼(西野)の記憶では、タイに駐在していた陸軍大佐の辻政信は「右翼」の人物で、タイの占領や自由タイを逮捕するように大使館に申し出ることもありましたが、1945年8月に日本が無条件降伏を宣言した時、辻政信大佐は戦犯者にならない方法はないかと大使館に行ったが、空手で帰りました。中村中将から彼が死亡したと云わせ、サパーンブット橋の近くにあるリアップ寺に出家しましたが、日本に戻り、戦犯者から逃れ、石川町の地方議会に出馬したとのこと。(著者注:のち国会議員に当選)
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(西野さんへの評価)

タイが自由タイによって連合軍に加わり、終戦時には西野さん自身も他の日本人と同じく収容されましたが、収容所内でのタイ人が「日本人に対して見せた優しさを記憶している」とも語っていました。

それは、タイ人が「西洋人捕虜に対しても同じで、それはタイ人が仏教徒で慈悲の心を持っているからだ」と話していました。

この話はタイのことをよく知っている日本人から聞いた話です。私が彼の口から聞いたのは、彼が76歳の時で、まだ元気でした。その後、我々は頻繁に会いました。ロータリークラブ活動、泰日協会の副会長、さらにとても有名な法律事務所の上級顧問として活動していました。

私は西野さんこそが、タイと日本の間で決裂しかけた所から分かり合える関係に回復できた架け橋として活躍した歴史的に偉大な人物の一人だと確信しています。

残念ながら、彼は2001年5月に、85歳でお亡くなりました。

著者注:()内の見出しは著者が付けました)

まとめ

西野さんの業績をタイ人側の元陸軍司令官が取り上げて、コメントしている事にその実績を垣間見ることができます。
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エピローグ

普段から親しくしているスィーパトゥム大学の森 康眞先生に西野順治郎さんの事について尋ねた所、「個人的な交流はない」と断りの上、西野さんと関わった著名人を何人か紹介してくれました。

そんな中から西野さんを紹介した本があるということで、今回の話に繋がった次第です。

また、タイ語の翻訳にも協力をいただきました。

この紙面を借りて本人に感謝、御礼申し上げます。

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エピローグ・その2

今年の2月サーイユット カートポン大将の100歳誕生祝いがあり、その席にロータリークラブ、ガバナーの飯田光孝氏が出席して長寿を祝っています。

(次回号へ続く)

 2022年8月20日 タイ自由ランド掲載

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