第3章-13 チェンマイ戦場にかける橋の事実 西野順治郎列伝28

戦前泰麺鉄道(たいめんてつどう)

西野さんは、戦前泰麺鉄道(たいめんてつどう)建設工事の視察のため、カンチャナブリーに上司と同行しています。 このことは、同じ出身大学の先輩の滝沢義勝(76歳)さんが、西野さんから聞いた話として私に語ってくれました。 その視察の中で、映画の中で描かれているような日本軍の虐待行為はなく、「人道的に扱っていた」と話してくれたとのことです。 以上が結論ですが、まだカンチャナブリーの事をご存知ない方もいるかもしれないので、以下説明しましょう。 まずこの鉄道工事ですが、日本軍がビルマに攻め入るためにカンチャナブリーからビルマまでの鉄道建設を短期間に行いました。 この建設工事は、1942年7月開始、1943年10月完成で、工事期間は1年3ヵ月です。 この工事の完成により、翌年1944年3月にインパール作戦が行われ、この鉄道を利用して日本軍はビルマに攻め入りました。 西野さんは、完成する前の6ヵ月前つまり1943年4月にバンコク勤務になっています。よって、6カ月間の間に何回かこの地カンチャナブリーを上司と共に訪問、視察していることでしょう。 西野さんによると、現場での労働者の管理には気を使っていたとのことで、日本は昔から奴隷制度がなかったため酷使する考えがなく、人間として取り扱った、とのこと。このことは上に立つ軍幹部から、部下そして現場の指揮官に厳しく指示していた、とのことです。 現場の最大での問題は、食料の確保でアジア人、日本人は米色が主食で野菜、魚類を必要としていました。 しかし、西洋人は肉食が主食なのでこの肉の確保が大変だったそうで、日本兵は、肉を食べずその肉を西洋人に配給したとのことです。 まとめとして、西野さんはカンチャナブリーの鉄道建設では捕虜に対して残虐な行為を行っていない、と断言していました。 この話は、親しい仲間の場である同窓会の席上、事実を伝えるため語ってくれました。 普通、ビジネス関係の席では話さない話題でしょう。 なお、鉄道建設工事は泰麺鉄道と呼ばれていますが、アメリカにより1957年「戦場にかける橋」とうタイトルの映画が作られ、その中で日本軍の残虐性が描かれています。 このことについて西野さんは「事実でない」と歴史に関わった人として証言しています。 ネット上に「泰緬鉄道建設捕虜虐待事件」があり、日本軍が、鉄道建設に従事した連合軍の捕虜やアジア人労働者多数を虐待し、死亡させた事件とも書かれていますが、現在でも西野さんは天国で「事実でない」と云っていることでしょう。 次号に、一部重複になりますが、西野さんの著書「タイの大地と共に」の中の「泰緬鉄道建設」を引用して紹介します。

(次回号へ続く)

   

2021年9月20日 タイ自由ランド掲載

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