第3章-12 チェンマイ遺骨収集事業 西野順治郎列伝27

チェンマイ日本国総領事館 (Airport Business Park,1F):著者撮影

日本の厚生労働省が進める戦没者慰霊事業の一つで海外諸国に放置されたままになっている第二次世界大戦における戦没者の遺体を捜索し、収容して日本へ送還する事業。 日本政府は、昭和35年頃から各地に遺骨収集団を派遣して収集を開始して来ました。 しかし、タイ国は直接戦場とならなかったため、遺骨収集は行われて来ませんでした。 昭和52年後半から日本政府はタイでの遺骨収集の準備に取り掛かり、昭和53年1月7日、津田義雄厚生省事務官を団長とする32名の収集団が来タイし、翌日よりチェンマイ、メーホンソーン及びナコムパトム県における遺骨収集作業に取り掛かりました。一行は4班に分かれて、2月5日まで各地で発掘作業に従事しました。 その結果2月5日までに1,281柱の英霊の遺骨が収集されました。 そして2月6日午後2時より、日本国大使館講堂において追悼式が行われました。 この追悼式には、人見大使、西野日本人会長らまた現地からも多数参列しました。 その席上、西野会長から追悼文が読み上げられました。 以下、一部を抜粋して紹介します。 この中で「皆様の雄姿をお見送りしたのが…」の部分は戦前チェンマイ領事館勤務について言及されています。 西野さんが戦前のみならず戦中もチェンマイそして旧日本軍の動向に関与したことが明らかになっています。 何度も書きますが、チェンマイに思い入れをした様子が伝わってきます。 追悼文(一部省略) タイ国における戦没者の追悼式が催されるに当たり、在留日本人を代表して戦没者の御霊に対し心から追悼の言葉を申し上げます。 (省略) あの日、私はこのタイ国に在勤しており、ビルマ戦線へ赴かれる皆様の勇姿をお見送りしたのは昨日のように思い出されます。 その後、皆さんはこの瘴癘(しょうれい)の土地で後方補給を絶たれ飢餓と戦いながらあらゆる苦痛もいとわず祖国のため身命を賭して戦われたのです。 そしてインパール作戦及びビルマ各地における作戦期間に戦傷を受けあるいは病魔に犯され、このタイ国のビルマ国境に近い北西部地域において祖国の平和と繁栄を念じつつ永遠の眠りにつかれました。誠に悲しいことであります。 (省略) 本日は日本国大使閣下のご臨席があり、日本政府派遣団によって、純白の御遺骨箱に収められました英霊が、祖国御帰還になる追悼式に参列いたしまして新たな決意に思えるものであります。 (省略) われわれは遥かなるこの地から皆さんの栄光をたたえ、安らかな冥福をお祈り申し上げ追悼の言葉といたします。 昭和53年2月6日 タイ国日本人会長 西野順治郎

(次回へ続く)

   

2021年9月5日 タイ自由ランド掲載

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