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西野順治郎列伝 120 第12章- 7 アユタヤ日本人村と西野順治郎氏 2

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何故か「アユチヤ・・・」と書かれた石碑:著者撮影

以下の内容は、1978年、日本人会会長を務めていた西野順治郎氏が61歳のときに、日本人会報(1978年1月号)へ投稿されたものです。ここに転載し、紹介いたします。 ) × × ×

泰日協会は、在留日本人と日本に関心を持つタイ人との友好関係を深めるための集いの場であります。

ロータリークラブと同様、仕事の面で関係のない人々はただ集まるだけでは何の利益も与えられないと言う向きもあるが、そこに生じる相互理解と友情を享受することによりタイでの生活を有意義なものにすることが出来るのではないでしょうか。

(一部省略)

泰日協会ではその事業の一つとしてアユタヤ旧日本人町遺跡の保存を行っていますが、在留邦人の方々も温かい気持ちでこの事業に協力していただきたいと願うものであります。

アユタヤ旧日本人町遺跡へは毎月300人前後の観光客が訪問しているが現場は荒廃したままになっており、ここを訪ねる観光客の中には「もっと整備してほしい」という感想を残している人も少なからずありません。

この土地は1933年に発見されて以来、泰日協会を所有者として保存してきたものでありますが、日本人会もその改修には協力しております。

しかし、予算の関係上その整備は十分に行われておりません。

現在の遺跡は旧日本人町の5分の1位のものですが、それでも7・5ライ(約12000平方メートル)あります。

南側に面した部分は水に侵食されて削られています。

また堀がないため周囲の子供たちが自由に入り込んで遊び場にするなどわざわざ日本から訪ねて来る観光客も失望させられるような状況に置かれています。

私は泰日協会でこのアユタヤ遺跡整備委員長を命ぜられ、一刻も早く改修整備を行いたいと願っているものであります。そして欲を言えば全域を庭園として、その中に資料館も作りたいと考えています。このように夢だけは先行して走るのですが作先立つべき資金が伴わない現状です。

× × × ×

たまたま、当時日本大使館のご斡旋により大阪万博基金より800万円の補助金が交付されることになりました。

しかし、その条件として補助金と同額以上の資金を自力で集めることを要求されていますが、協会の理事各位のご尽力によりこの募金にも目途がついたのでとりあえず120万バーツの予算で第一次改修工事を着手しました。

この工事は先ずメナム河に面した場所に恒久的堤防を築き、他三面はコンクリートブロック塀で囲い、さらに東側道路に面した処に門と約10台分の駐車場、それに河岸近くに休憩所を建設するものです。

そして今年2月末には完成が予定されており、その暁には一応遺跡としての面目を施すことができるようになるでしょう。

最近日本内地では歴史ブームが起こっているようで、去る12月初め私が一時帰国した際、4社のマスコミからこのアユタヤ遺跡についてインタビューを受けました。

                

(次回号に続く

著者紹介: 小林 豊
1948年北海道生まれ、自称フリー作家、在タイ38年、神奈川大学卒業、小林株式会社創業者、西野順治郎氏と長年交流。
著者へのメール:kobayashiyu99@gmail.com

 2025年8月5日 タイ自由ランド掲載

ペルプ 西野順治郎

 

ペルプ タイの日本人会

 

 

Tensui


アユタヤ日本人村の魅力と歴史が丁寧に描かれていて感動しました。西野さんの情熱、そして日タイの絆を大切にする思いに胸を打たれます。次回の随筆紹介も楽しみにしています✨
#アユタヤ日本人村 #日タイ友好 #歴史の架け橋 #西野さんの願い #文化交流 #旅する歴史


 

 

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