
Day 4|バンコク遷都と新しい寺院の時代
〜なぜ新しい都には、これほど豪華なお寺が必要だったのか〜
アユタヤの廃墟を見たあとに、
バンコクの寺院を訪れると、
多くの人がこう感じます。
「金ピカすぎない?」
「どうして、こんなに豪華なの?」
でもそれは、
単なる贅沢や見栄ではありません。
そこには、
国が一度“滅びた”あとにしか生まれない、
切実な理由がありました。
すべての始まりは「国の崩壊」
1767年、
アユタヤ王朝は戦争によって完全に崩壊します。
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王はいない
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都は焼け落ちた
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国の中心が消えた
この状態は、
「政権交代」ではなく、
国家そのものが消滅した状態でした。
新しい都に必要だったもの
新しい王朝が国を再建するために、
最初に必要だったのは何でしょうか?
答えは、
「この国は、もう一度立ち上がった」
という象徴
それを一目で示す存在が、
寺院だったのです。
バンコク遷都とラーマ1世
1782年、
ラーマ1世はチャオプラヤー川沿いに
新しい都を築きます。
それが、
現在の バンコク(ラタナコーシン)。
彼が最初に行った重要な仕事が、
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王宮の建設
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王室寺院の建立
でした。
豪華なお寺は「国の宣言」
バンコクの寺院は、
これまでとは意味が違います。
① 国家復活の宣言
黄金に輝く仏塔、
精巧な装飾、
巨大な仏像。
それは、
「この国は滅んでいない」
「仏教と王権はここにある」
という、
無言の宣言でした。
② 王の正統性を示すため
新しい王は、
「正しい王」であることを
示さなければなりません。
そのために、
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国宝級の仏像を迎え入れる
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王宮の中に寺を置く
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国家儀式を寺院で行う
こうして、
王=仏教の守護者
という構図が再び作られました。
ワット・プラケオの特別な意味
その象徴が
**ワット・プラケオ(エメラルド寺院)**です。
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王宮内にある唯一の寺
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国を守る仏が安置
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国王自らが衣替え儀式を行う
これは寺というより、
「国家そのもの」
と言っても過言ではありません。
なぜバンコクの寺は「きらびやか」なのか?
アユタヤの寺が
石とレンガの重厚さなら、
バンコクの寺は
金・ガラス・色彩。
理由は、
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戦争の記憶を払拭する
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国の再生を視覚化する
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外国に向けた威信
バンコクの寺は、
未来を向いて作られた寺院だったのです。
寺院は人々の心の避難所だった
戦争を経験した人々にとって、
寺は心の拠り所でもありました。
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平和が戻った証
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祈れる場所の再生
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安心できる日常
豪華さは、
人々の不安を打ち消す
希望の色でもあったのです。
Day4のまとめ
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Tensui-
バンコク遷都は国家再建の象徴
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豪華な寺院は「復活宣言」
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王の正統性と仏教は不可分
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バンコクの寺は未来志向の存在
次回 Day 5 は
「王室寺院と庶民寺院の違い」。
同じ寺なのに、
なぜ雰囲気も役割も違うのかを解説します。 -