【タイの田舎の小さな家から】タイの仏教を30日で学ぶ –Day 13 「執着(アップダーナ)」とは何か

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Day 14

「渇愛(タンハー)」とは何か

— 欲望の正体と、苦しみの連鎖を断ち切る智慧 —

仏教では、私たちが繰り返し苦しみを生み出してしまう根本原因として
**「渇愛(タンハー)」**があると説かれます。

昨日学んだ「執着(アップダーナ)」の
さらに奥に潜んでいる心のエネルギー
それが渇愛です。


■ 渇愛(タンハー)とは?

渇愛とは、
「もっと欲しい」「ずっと続いてほしい」「嫌なものは消えてほしい」
という、乾いた喉が水を求めるような心の衝動です。

単なる欲望ではなく、
満たされても終わらない欲
それが渇愛の特徴です。


■ 仏教で説かれる三つの渇愛

仏教では、渇愛を大きく三つに分けて説明します。

  1. 欲愛(よくあい)
    快楽・心地よさ・楽しさを求める欲

  2. 有愛(うあい)
    存在し続けたい、認められたい、成功したいという欲

  3. 無有愛(むうあい)
    苦しみから逃げたい、消えてしまいたいという欲

どれも日常の中で、私たちが無意識に抱いているものです。


■ 渇愛 → 執着 → 苦

仏教では、苦しみの流れを次のように見ます。

渇愛(欲しい)
→ 執着(手放せない)
→ 苦(失う不安・怒り・悲しみ)

渇愛が火種となり、
執着が炎となり、
苦しみが燃え上がる――
そんなイメージです。


■ 欲望が悪いわけではない

ここで大切なポイントがあります。

仏教は、
「欲望そのものを否定しない」
ということです。

問題なのは、
「欲望に気づかず、振り回されること」。

欲があること自体は自然なこと。
気づきと智慧があれば、
欲は人生を動かすエネルギーにもなります。


■ 渇愛を弱める鍵は「気づき」

渇愛を断ち切るために、
無理に我慢する必要はありません。

大切なのは、
「いま、渇愛が起きている」と
その瞬間に気づくこと

気づいた瞬間、
渇愛は少し距離を置かれ、
心の支配力を失っていきます。


■ タイ仏教のやさしい教え

タイの僧侶たちはよくこう語ります。

「欲をなくす必要はない。
欲に飲み込まれなければいい。」

在家の人にとって、
とても現実的で温かい教えです。


■ 今日の小さな実践

今日一日、こんな問いを持ってみてください。

答えは出さなくて大丈夫。
問いを持つことが、智慧を育てます。


■ 次回予告 – Day 15

Tensui

次回は、
**「中道(ちゅうどう)」**について学びます。

欲を抑え込まず、
流されもせず、
バランスの中で自由に生きる――
仏教が示す“生き方の設計図”を見ていきましょう。

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